まず「楽しむ方法」を考える
この世の中には、「どうしようもない」ことがたくさんあります。「どうしようもない」というのは、「自分の希望や期待通りにならない」という意味です。
雨が降ってほしくないと思っても、自然は平気で雨を降らします。年老いたくないと願っても、髪が抜けるわ、シワはよるわ、シミだらけになるわ……。
そして、これらのどうしようもないことを、「どうにかしよう」というところから悩みが生まれるのです。
この世の出来事は、あなたに意地悪をしてやろうとか、特別に苦しめてやろう、などという意識を持って起きているわけではなく、ただ現象をもたらしているにすぎません。
なんとかしようなどと思わずに、ありのままを受け入れ、そのことをいかに楽しむかを考えることで、人間が抱えるたいていの悩みは解決します。
しかしながら、この自然界で唯一、特異な存在があります。
それは人間の持つ“自我”です。この自我だけは、ありのままに放置して、好き勝手にやらせると暴走するのです。
そこで、教育が必要になるわけです。教育という「しつけ」を通じて、していいこと、悪いことを身につけ、暴走しないようにするのです。
道徳や倫理を通して、目先の利益を追うだけではなく、他人を助ける喜びや大きなレベルにおいて自分の幸福が広がることを学んでいくのです。
しかし、学んでも、学んでも、そう簡単には自我の囚われから脱することはできません。自分のことを一番に考え、自分の利益を企て、思うままに物事を押し通そうとし、保身に走ります。それが、人間という未熟で未完成な存在です。
自分も含めて「未熟な存在」同士が関わることで人生はつくられ、また彩られていくのです。
今すぐに解決したいと思わない
あなたがこの本を手にとった理由は、周囲の人と関わっていく中で、あなた自身があるがままではいけないと思ったからでしょう。
自分が変わり、相手を変え、成長することで現状を乗り越えていきたいと思ったからでしょう。
しかしながら、このような本や、さらにすぐれた書籍を読んだとしても、たちどころに問題が解決するわけではありません。人間の成長とは、ゆるやかなものです。
目に見えて確認できるようなものでもありません。そして、学ぼうとするあなたよりずっと後に、苦手な相手の変化や成長はついてくるものです。
「時間薬」という言葉があります。
これは、「時間が経てば、傷(病)はよくなる」という解釈もできれば、「今すぐにできることはなく、ただ待つ以外にはない」という意味もあるのだと思います。
人間関係のもつれやトラブル、悩みなどは「すぐに解決したい」と願うほどつらいものです。
何とか早く、自分が変わり相手との化学反応を変えたくなるでしょう。
しかし、その化学反応は、物質の変化ほど早くはありません。こちらがジワジワ変わることで、相手も遅れてジワジワ変化し、時間をかけて反応自体が変化するのです。
それまでは、急いでもどうしようもないのです。焦っても仕方がないのです。それはそんなもので、しゃあないのですから。それは、そんなものだと、「あきらかにみとめる」しかないのです。