現実の出来事ならどんな展開もありえる

さて、みなさんもご存じのように、ひとつの出来事には必ず、いろいろな展開をする可能性があります。うまくいったり、いかなかったり。まあまあうまくいったり、ギリギリなんとかなったり。どうなるかは、前もって決まっているわけではありません(ただし、因果関係は存在します)。

生まれたばかりの赤ちゃんは、何も身につけず、柔軟で、どんなふうにでも変わっていけます。現実の出来事も同じです。つまり、錯覚ではなく現実の出来事なら、必ず、その先どんな展開もありえるのです。

自分の思う道徳を実践するいい機会になる

でも、一日中、セクハラめいたことを言ってきてあなたに苦痛を与えるバカの場合は、もちろん、どんなふうにでも変われるという次元を超えていて、まさに一種の「導き」だと言えるでしょう。そう、バカはあなたを何かへと仕向けているのです。

マクシム・ロヴェール(著)、稲松三千野(訳)『フランス人哲学教授に学ぶ 知れば疲れないバカの上手なかわし方』(文響社

でもその何かは、暴力ではありません(あなたは暴力を振るったら蟻地獄に落ちてしまいます)。聖人になることでもありません(聖人は簡単になれるものではありませんが、もしなれるなら、遠慮せず、なってください)。

バカはあなたを試練へといざなっています。そんなときあなたは、このバカは、道徳を実践するいい機会だととらえるべきです。

あなたが誰かのことをバカだと言うとき、自分の道徳観を基準にするのはもっともなことです。あなた自身、日頃からその道徳観に沿って、立派な人間になるための努力をしているわけですから、ぜひ実践してみましょう。

本稿のポイント
バカがバカなことをしてきたら、自分の思う道徳を実践しよう。
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