さあ、これでみなさんは、今からわたしが言うことを認める心の準備ができましたね。いいですか? バカに苦痛を与えられても、そのことから、バカの存在は「悪」だという結論は出せません。

バカが露呈しているバカなところでさえ、「悪」だという結論は出せません(バカが犯罪行為をしている場合はまた別です)。

実は、このように考えることには、とても大きなメリットがあります。例の「蟻地獄」の砂を止めることができるのです。

蟻地獄ができるのは、こちらが傷ついてぼう然としてしまうから

では、なぜ砂を止めることができるのでしょうか。まず、これまで見てきた、蟻地獄ができる原因を整理しましょう。

① お互いのふるまいや言葉のやり取りのせい
② 相手のふるまいに傷ついて(ショックを受けて)、ぼう然としてしまうから

このうち、②のほうが、より大きな原因です。したがって、この状態から立ち直ればよいのです。

ここからはたとえ話です。バカのふるまいに傷ついてぼう然としたあなたは、傷ばかり見てしまい、めまいがしてきました。

公園のベンチに座り込み、手で顔を覆っている男性
写真=iStock.com/itakayuki
※写真はイメージです

めまいは、世界がぐるぐる回る感じがします。あなたの力と思いやりは、めまいでバラバラになって、やはりぐるぐると、お互いを追いまわすように回っていました。苦痛を覚えたあなたは、バカの存在は「悪」、あるいは「災い」だと考えてしまいました。

これを簡単に表すと、次のようになります。

① バカのせいで傷つく→ぼう然とする→力も思いやりも出せない。
② バカのせいで傷つく(苦痛)→バカの存在は「悪」あるいは「災い」だと考える。

これは、あなたの中にできてしまった、やはり悪循環の環ですね(バカのせいでバカになる)。この環は、バカとあなたの間にできた悪循環の環(バカがうつってバカになる)を、途切れさせずに維持してしまいます。

バカのせいで傷ついてぼう然としているうちに、間違った考えに至ってしまう。それを防ぎたくて、本書では本稿の章には「バカの言動にぼう然としても気をとりなおすには」という章題をつけました。

蟻地獄は、パニックになると生まれる錯覚です。パニックが続くと蟻地獄は大きくなります。あなたは抜けだし方を知らなかったので、バカ本人か、バカの愚かさを消すしか方法はないと思ってしまったのです。

思考がこのように連鎖するのは、自然で仕方のないことですが、おかげであなたの考察は行きづまってしまいました。それは、こうした思考の連鎖が単純に間違っているからです。

バカであることのマイナス面は、簡単にはなくならず、何らかの出来事の形で表に現れることが多いものです。その場合、その出来事は苦痛ではあっても、「それ自体」は「悪」ではありません。その点は、他のあらゆる出来事と同じです。