夜遅くまでビラ配り

無償で行う教団へのボランティア活動は、教団内では“徳を積み、高い世界へ生まれ変わるための大切な行為“とされていた。財産を教団に寄付する”お布施”も徳を積む大切な行為とされていたが、貧乏な母親は、あまり寄付はできない。そのため、勧誘のビラ配りに積極的に参加していた。

教団の教えや連絡先の書かれたビラを何千枚と自宅に持ち帰り、それを折るところから作業は始まる。毎日夕飯の後、夜遅くまで母親と姉妹の3人でビラを折った。子供連れの母親は、昼間だと目立つため、ポスティングも夕飯を食べ終えた夜間に行っていた。

当時は教団が、世界中が震撼しんかんするような大事件を起こした直後だったため、まだ5歳だった時任さんだが、「ビラをポストに投函しているのを見られたら怒られる!」と子供ながらにおびえていた。特に冬の夜は寒く、時任さん姉妹は、「早く帰りたい」と何度も母親に言ったが、その度に「あと○○枚配ったらね」「この区画が終わったらね」と誤魔化される。幼い姉妹は、母親に必死でついて行くしかなかった。

「母がたまに買ってくれる自販機のジュースを3人で分け合って飲んだことが、ビラ配りでの唯一の良い思い出です」

写真=iStock.com/tmprtmpr
※写真はイメージです

ジュースを買うと母は決まって、「せっかく積んだ徳が減っちゃったね」と言った。

時任さんが夜間のポスティングより嫌だったのは、休日の昼間に街中で直接通行人にビラを配る活動だった。

「当時、私たちに向けられる視線は、かなり冷たいものでした。警察を呼ばれたこともあります。しかし教団の大人たちからは、『子供が配った方が受け取ってもらえるから』と、私たちもビラ配りに積極的に参加するように求められていました」

あるとき、時任さんが中年のサラリーマンにビラを渡そうとしたところ、その人は受け取ったビラを思い切り地面に叩きつけ、強い口調で何か言った。

「何と言われたのかは分かりませんでしたが、怒られたことはわかりました。そして彼は、その場にいた母を含む他の信者たちに向かって、『子供にこんなことをさせるな!』と怒鳴っていました。私は怖くて泣きました」

時任さんはその時の悲しさと恐怖を、大人になった今でも忘れられない。ビラ配りのバイトは絶対にやらないと心に誓うとともに、今でもビラを渡されると断れずにいる。