日本の「ジェネラリスト採用」の弊害
では、なぜルール的には解雇しやすいのに、我々は「日本の大企業は社員をクビにしにくい」と思い込んでいるのか。結論から言ってしまうと、最大のネックは、日本特有の「ジェネラリスト採用」だ。
例えば、日本の大企業で新卒採用されてから10年経過した「使えない社員」がいたとしよう。この人はこれまでいろいろな部署を渡り歩いてきたが、評価されるような実績もない。やる気もそれほど感じない。大企業に定年までしがみついて、安定した給料をもらおうという気マンマンに見えた。
では、会社側はこの「使えない社員」をクビにできるのかというと、難しい。
いくら会社が「使えない」と主張をしても、この社員が「不当な解雇」だと司法に訴えてきたら、ほぼ間違いなく負けてしまう。なぜかというと、「会社側はジェネラリストとして雇ったこの社員の適性を考えて、能力をちゃんと引き出すような仕事をさせていたとは言い難い」と判断されるからだ。
会社側に「最適な仕事」を用意する責任がある
アメリカをはじめ多くの国での雇用形態である、いわゆるジョブ型雇用の場合、「使えない社員」の定義はシンプルだ。入社時に、どんな仕事をしてどんな目標に向けて努力をしていくのかということを、労使で合意をしたうえで雇用契約を結ぶのが一般的なので、その仕事ができない、努力できないというのは「使えない社員」だと司法でも判断される。
例えば、プログラマーという契約で雇われた社員は、そこで結果が出せなかったり、その部署が縮小されたりすれば、その会社にとって「使えない社員」となる。
しかし、日本の大企業正社員のように、入社時にどんな仕事をするのか、どんな目標を達成するのかということを明確にしない、いわゆるメンバーシップ型雇用の場合、「使えない社員」を定義することは難しい。「本人の適性に鑑みて会社側が仕事を決める」という「ふわっ」とした働き方だからだ。
営業でまったく成績を残せなかったけれど、経理部にまわされたら水を得た魚のように仕事ができたという場合もある。社内のどんな仕事をさせても失敗だらけだったが、子会社に左遷されたら上司ともウマがあってイキイキと働いている、なんてこともある。だから司法としては、会社側がいくら「この社員は使えません」と訴えても、「いやいや、それは会社側が能力を活かせるような仕事を用意してないからでしょ」となってしまうのだ。