「究極のオーガニックレモン」の作り手

梶岡ひでし、75歳。久比生まれの久比育ち、グレーの顎ひげを蓄えてダンディーだ。超高齢化が進む久比地区の再生に人生をささげている。

2012年に定年退職し、50年ぶりに故郷の土を踏んだ梶岡。古希を超えても畑仕事やボランティア活動でフル回転中だ。「超高齢化地域の久比では私は若者。85歳以上にならないと高齢者の仲間に入れない」と苦笑いする。

2016年暮れ、三宅は梶岡を訪ね、協力してもらえないかどうか打診してみた。ありがたいことに二つ返事でOKしてもらえた。

2017年に入り、梶岡と一緒にレモン畑の無農薬化に乗り出した。日々何かを学んでいた。「土壌の下に存在する無数の微生物のことを考えないとね」「人間は自然の一部。自然とのバランスが何よりも大事です」「レモン畑に必要以上に手を加えず、サポートに徹しましょう」――。まるで哲学を学びながら畑仕事をしているように感じた。

収穫時に焦り、レモンを雑に放り投げていたときのことだ。梶岡から「レモンはそっと置きましょうね」とやんわりと言われた。すべて生き物として捉えなければいけないんだな、と肝に銘じるようになった。

だからこそ梶岡が育てたレモンは特別に見えるのだろう。三宅に言わせれば「究極のオーガニックレモン」だ。

ナオライ提供
三角島のレモン畑。右端は三宅紘一郎氏

そもそもなぜレモン畑は枯れてしまったのか。植物の根と共生している微生物「菌根菌きんこんきん」が弱体化していたのである。大量の農薬が使われると土壌の菌根菌が弱まり、レモン畑は無農薬栽培では生存できなくなってしまう。

自然との調和を目指すルーラル起業家へ

梶岡のやり方は社会問題の解決を目指す「社会起業家」的なメンタリティーと見事に合致した。願ってもない展開だった。というのも、三宅は大量生産・大量販売型のビジネスモデルとは距離を置き、社会起業家として世の中に変革を起こそうと決心していたからだ。

きっかけとなったのは、社会起業家を育成するためのアクセラレーションプログラム「SUSANOO(スサノヲ)」だ。三宅は2014年に上海から帰国すると同プログラムに応募し、第1期生に選ばれていた。ナオライ創業の前にSUSANOOで半年以上にわたってビジネスモデルを考えていたわけだ。

SUSANOOの影響は大きかった。当初のビジネスモデルはもちろんのこと、人生観までもがらりと変わってしまった。「大都会を拠点にして売り上げ拡大を最優先する起業家」が過去を捨て去り、「時間をかけて自然との調和を目指すルーラル起業家」へ変身したともいえる。

三宅は当時を振り返ってこう話す。「大都会の上海で過ごしていたこともあり、いかにたくさん売るということしか頭になかった。SUSANOOにやってきて資本主義や市場の失敗について深く考えさせられ、違う価値観を持つようになりました」