18世紀前半、マフムト一世の時代につくられた俸給台帳では、トプカプ宮殿の女官は456名に達している。ここから、トプカプ宮殿のハレムで働く女官の数は、多くても500名をこえなかった、といえるだろう。

なお、トプカプ宮殿がスルタンの主たる居城ではなくなる19世紀には、およそ500名から600名の女官がハレムに勤めていた。

皇帝はどのように夜をともにする相手を選んだのか

それでは、数百名もいる女官の中から、スルタンはどのようにして夜をともにする相手を選んだのだろうか。

小笠原弘幸『ハレム:女官と宦官たちの世界』(新潮選書)

16世紀末にムラト三世の侍医を務めたイタリア人ドメニコや、前出のオッタヴィアーノ・ボンは、ある儀式を紹介している。両者の記述には多少の違いがあるが、大意は次のようなものだ。

——スルタンが女官と夜を過ごしたいと望んださい、スルタンの意をくんだ女官長は、広間に女官たちを集め並ばせる。スルタンは並んだ女官たちを品定めしたのちに、望みの女官にハンカチを渡すことで、言葉を発することなく伽の相手を示した。女官長は、選ばれた女性を入浴させ、身を清めたあとに香水をふり、宝石で美しく着飾らせてのちにスルタンの寝所まで連れてゆく。こうしてスルタンと一夜を過ごした女官は、褒美を下賜されるとともに、彼女に仕える侍女や宦官をあてがわれ、栄誉あるあつかいを受けるのである。

ドメニコやボンが伝えたこの記述は西洋において広く信じられ、その後、多くのハレムをあつかった書籍でくりかえされた。しかし、18世紀初頭にオスマン帝国を訪れ、前スルタンの夫人と交流したモンターギュ夫人は、こうした慣習を否定している。

彼女によれば、意中の女官がいた場合、スルタンはたんに黒人宦官長に命じて彼女を呼び寄せたのだという。道具立てに外連味がありすぎるハンカチの逸話よりも、こちらのほうがありそうに思えるが、どうだろうか。

なお、一般の人々がハレムにたいしてイメージするような、好色なスルタンが夜な夜な複数の女官を相手にし、乱痴気騒ぎを繰り広げるといったようなことは、基本的にはなかったといってよい。

なによりもまず、ハレムは管理された後継者生育の場であったのである。

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