※本稿は、小笠原弘幸『ハレム:女官と宦官たちの世界』(新潮選書)の一部を再編集したものです。
オスマン帝国の「後宮」に連れてこられた女奴隷の一生
ハレムにいた数百名にのぼる女性のうち、スルタン(オスマン皇帝)に見初められ、一夜を共にした者には、寵姫となる道が開かれていた。さらに授かった男子が即位にまでいたれば、彼女は母后となり、ハレムに君臨する存在となるのだ。
しかし、彼女たちはスルタンの夜の相手だけを務めていたわけではない。王族の身の回りの世話から、洗濯や浴室、竈の管理にいたるまで、ハレムを維持するための多くの仕事を請け負った。まさに彼女たちは、ハレムという存在そのものを支えているといってよい人々であった。
ハレムの女性を意味するトルコ語は、ジャーリエという。もともとはアラビア語のジャーリヤという単語が、転訛してジャーリエと発音されるようになった。ジャーリエとは、一般に「女奴隷」と訳される。
実際に、ハレムで働く女性たちの法的身分は、奴隷であった。しかし、以下に見るように、彼女たちは、わたしたちがふつうイメージする「奴隷」というよりも、むしろ「女官」と意訳する方が実態に即していよう。
見習い奴隷から毒見役や洗濯役に
ハレムに入りたての女官は、新入りと呼ばれる。彼女たちは、まずふたつの部屋に割り振られる。これらの部屋に入った新人たちは、先輩の女官に、ハレムで働くにふさわしい訓練を受けた。女官としての基本的なふるまい、読み書き、そして刺繍や手芸、あるいは音楽やダンスを学んだと考えられている。
見習い期間を終えた新入りたちは、女中と呼ばれるようになり、毒見役や洗濯役などに配属される。ここで彼女たちは、ハレムを維持し運営するために働いたのであった。また、母后や王女、夫人や愛妾など、ハレムの高貴な女性たちに仕える侍女に任命される女中もいた。とくに母后の侍女は、スルタンの妻妾の候補者でもあり、将来の見込まれた女官が配属された。