興味深いのは、愛妾が宝物役頭を兼ねている例があること、そして宝物役頭出身の愛妾がいることである。たとえば、マフムト一世(在位1730~54年)の第6愛妾は、同時に宝物役頭であった。

彼女が、もともと有能であって宝物役頭を務めていたさいにスルタンの目に留まったのか、あるいはスルタンの寵愛が先にあって宝物役頭を務めることになったのか定かではない。

女官たちの実務上のトップが女官長である。すべての女官のなかでもっとも経験豊富な人物が就任した。女官長は母后の右腕であり、ハレムの女官全体を統括するいわばジェネラル・マネージャーであった。

その権威は高く、特別の部屋を与えられ、給与についても、セリム三世の時代には母后をもしのぐ日給を得ていた。女官長には直属の女官が4、5名配属され、彼女たちも高給を得ていた。

なお女官長は、見目麗しさよりも実績や経験が優先されたためであろう、寵姫に「昇進」するポストではなかったと考えられる。

トプカプ宮殿、スルタンの広間
トプカプ宮殿、スルタンの広間(写真=Antonio cali 66/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

「皇帝の女」になるための絶対条件

スルタンの妻妾は、ほとんどの場合スルタンと婚姻関係を結んでおらず、身分としては一般の女官と同じ奴隷であった。ただし、まれな例ではあるが、奴隷から解放されスルタンと正式に結婚し、自由人となった妻妾もいる。

妻妾となるには、まずスルタンに目をかけられ、夜伽の相手を務める必要があった。その機会を持っていたのは、ひとつには、直接スルタンの身の回りの世話をする女中頭たちである。彼女たちは、毒見役や散髪役として、スルタンと生活空間を共有したから、スルタンに気に入られることも多かっただろう。また、母后の侍女をつとめた女官たちも、母后の推薦によって、スルタンの寵愛を得る機会に恵まれていた。

愛妾という訳語をあてたイクバルという言葉は、もともと「幸運な」という意味である。スルタンの寵愛を受けることは、まれにみる僥倖とみなされたからであろう。愛妾は複数名いるのが普通で、第一愛妾、第二愛妾、第三愛妾……というかたちで序列づけられた。愛妾の上位である夫人に欠員が生じると、第一愛妾が夫人の末席に昇進することもあった。

愛妾よりも格式の高い、スルタンの寵姫としては最高位にあたるのが夫人である。ハレムにおいて夫人より格上の女性は、スルタンの母たる母后と、姉妹たる王女しか存在しない。夫人は、愛妾と同様に複数おり、スルタンによって異なるが、四名から七名のあいだであった。やはり愛妾同様に、第一夫人、第二夫人……というかたちで序列づけられた。