イギリスのエリザベス女王が96歳で亡くなった。在位70年の歴代最長の君主となったエリザベス女王は、なぜ長きにわたって愛されたのか。関東学院大学国際文化学部の君塚直隆教授の著書『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)からお届けする――。
2022年6月28日、スコットランド・エジンバラのホリールードハウス宮殿の庭園で行われた、女王のプラチナ・ジュビリー(即位70周年の記念式典)を祝う兵士たちのパレードを見守ったエリザベス女王
写真=PA Images/時事通信フォト
2022年6月28日、スコットランド・エジンバラのホリールードハウス宮殿の庭園で行われた、女王のプラチナ・ジュビリー(即位70周年の記念式典)を祝う兵士たちのパレードを見守ったエリザベス女王

25歳で即位した若き女王と「国王大権」

父の急死を受けて、1952年2月6日にウィンザー王朝四代目の君主となったのが、ジョージ6世の長女エリザベス2世(在位1952年~2022)である。翌53年6月2日に盛大な戴冠式も無事に済ませ、ここに新しい「エリザベス時代」が本格的に始まった。

戦後のイギリス政治は、保守党と労働党を中心とする二大政党制がしっかりと定着していた。女王にはかつての君主のような「国王大権(Royal Proregative)」は残されていないかに思われた。

しかし彼女が王位を継承した当初は、いまだ「首相の任免」に関する君主の大権は残っていたといえよう。1922年から党首選挙を導入していた労働党とは異なり、「党首は選ばれるのではなく自然に登場する」との信条から党首選のなかった保守党の政権交代の場合は特にそうだった。

1956年秋にイギリスは「スエズ戦争」で世界中から非難を受け、いまや帝国主義的で強硬な姿勢が通用しない時代になっていることをあらためて思い知らされた。病身の首相サー・アンソニー・イーデン(1897~1977)は翌57年1月に辞意を表明した。

この会見の席で、女王はイーデンに後継首班について助言を仰ぐことはなかった。通常は、保守党内で政権交代が行われる場合には、辞めていく首相(党首)が自らの後継者を君主に奏薦して御前を辞去するのが慣例であった。もちろんその場合には、次期党首は党内調整を経て「登場」していた。

首相任命で発揮した調整力

1957年の首相選定については、イーデンは玉璽尚書のリチャード・バトラー(1902~1982)を後継者に推すのではないかと思われた。しかし女王は、バトラーをあまり好まなかったと言われる。ここでイーデンから「バトラー」の名前を出されてしまっては、引っ込みもつかなくなる。