たとえば、1970年にエドワード・ヒース(1916~2005)率いる保守党政権が、ヨーロッパ共同体(EC)へのイギリスの加盟実現を第一課題として掲げていたとき、この加盟に不安を抱いていたコモンウェルス諸国の首脳たちから横槍が入るのを恐れ、ヒース首相は翌年にシンガポールで開催される予定であったコモンウェルス諸国首脳会議(Commnwealth Heads of Government Meeting : CHOGM)に、女王が出席しないよう要請し、女王もこれを受け入れた。1953年に初会合が開かれて以来、女王が初めて欠席することになったのである。

それは政府と正面から衝突するのを避けようとした女王の英断によっていた。しかし翌72年にイギリスのEC加盟が内定するや、73年にカナダのオタワで開催されたCHOGMに、今度はヒース首相に事前に「通達」して、女王は晴れて出席することができた。

コモンウェルス(Commonwealth)こそは、政府や閣僚、現場の外交官らが政策決定の実権を握る戦後イギリス外交の世界のなかで、女王や王室がいまだに大きな影響力を残す舞台である。なかでもエリザベス2世は、1947年に初めて家族で訪れた外国が南アフリカ連邦であり、その折に次のようにラジオを通じて演説していた。

「私の人生は、それが長いものになろうが、短いものになろうが、われわれのすべてが属する大いなる帝国という家族への奉仕に捧げられることになるでしょう」

さらに、彼女は戴冠式を終えた5カ月後の1953年11月から半年にわたる世界周遊の旅に出かけるが、その行き先はほとんどがコモンウェルス諸国であった。

1954年1月25日、エリザベス女王とエディンバラ公フィリップ王配がニュージーランドを訪問した際に、ロイヤルトレインのティマル駅にて撮影
1954年1月25日、エリザベス女王とエディンバラ公フィリップ王配がニュージーランドを訪問した際に、ロイヤルトレインのティマル駅にて撮影(写真=Archives New Zealand/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

あなたと私の間を結ぶ、個人的な生きた紐帯

女王夫妻が世界周遊の旅に出かける4日前に、当時の保守党政権のチャーチル首相は庶民院で次のように演説した。

「女王がこれから乗り出されようとしている旅は、ドレーク[16世紀のイングランドの海賊・航海者]がイングランドの船で初めて世界を一周した時に劣らぬ幸先の良い旅であり、女王が持ち帰られるであろう宝物も、ドレークに劣らぬ輝かしいものであろうかと思われるのであります」