本当に福祉を必要とする人には行きわたらない
自由主義の市場経済とリベラル民主主義の秩序が永遠に勝利したはずだったのが、いったいどこで、毒をまき散らす右翼ヘイトの無秩序へと姿を変えてしまったのだろう?
そして、死を招くパンデミックは、昔ならば人類の一致団結が求められるような危機だったのに、なぜ、世界で最も富める人々が相変わらず暴利をむさぼる機会になってしまったのだろう?
第二次世界大戦の終結から30年間は、米国が主導する資本主義が、経済成長の果実を幅広く、前向きな形で共有した。
しかし、ダボスマンが乗っ取ってからの資本主義は、実際には資本主義でも何でもない。それはある意味で社会福祉国家の変種だが、最も福祉を必要としていない人々に特典が与えられている。
運用益は、億万長者でなければ手出しできない。社会全体として脅威に対抗する費用が必要な際は、別途、納税者の金が充てられる。失業、差し押さえ、医療の無保険状態といった凡人たちの苦難は、自由主義経済につきものの浮沈なので受け入れるべきだとされる。
最富裕層10人の資産は85の最貧困国の経済規模を上回る
こうした極端な格差はよく知られた話とはいえ、もはや驚くべき水準に達している。
過去40年間で、アメリカ人のうちわずか1パーセントの最富裕層が、総計で21兆ドルの富を獲得した。同じ期間に、下半分の層の資産は9000億ドル減少した。
1978年以降、企業経営者たちへの報酬総額は900パーセント以上と爆発的に増えた一方で、平均的な米国の労働者の賃金は12パーセント足らずしか増えなかった。
世界的にみれば、最も豊かな10人の超大富豪の財産を合計するだけで、最も貧しい85カ国の経済規模を上回る。
こうした数字を把握すれば、ダボスマンによる世界経済の改造が、歴史的な窃盗行為に等しいとわかるだろう。米国の総収入が第二次大戦直後の30年間と同じように分配されれば、下から9割の層に入ってくる所得は全部で47兆ドルも増えていたはずだ。
現実にはその代わりに、マネーは上向きに流出し、わずか数千人だけを富ませながら、アメリカの民主主義そのものを危機に陥れた。
しかもそれが、コロナ禍より前の状況だったのだ。