多くのパシュトゥーン人にとって、ターリバーンによる統治政策は、それまでの生活との間で大きな違和感のないものであった。このため、ターリバーンは何もないところから突如として出現した存在ではなく、アフガニスタンの伝統的な部族社会という仕組みの中から派生したものであり、アフガニスタン人の一部を代表していると理解することができる。この点は、例えば「イスラーム国(IS)」などのイスラーム過激派組織と大きく異なる点である。
政権を奪還したターリバーンは女子教育には厳しい
ターリバーンの行動様式を見るためには、40年以上にわたる同国における戦争の遺産も考慮される必要がある。2021年9月に発足したターリバーン暫定政権は多くの争点を抱えており、とりわけ民主主義諸国が問題視しているのが女子教育の制限である。
3月23日、ターリバーンは女子教育再開を撤回した。先立つ1月、ターリバーンのムジャーヒド報道官は、ナウルーズ(アフガン暦新年の元日)には全ての女子生徒の登校が再開されるとの方針を公にした。ターリバーン統治下で、男女の平等な教育へのアクセスが保障されるとの期待が高まった。
しかし、女子生徒の登校再開は初日に撤回された。学校の再開を待ちわびていた女子生徒らが一度は登校したものの、学校から帰宅を告げられ、泣きながら家路につく胸の痛む映像が伝えられた。
ターリバーンは「シャリーア(イスラーム法)とアフガニスタンの伝統と文化」に即していないことが問題だとの認識を示し、然るべき環境とカリキュラムが整えば女子教育を再開する方針を示している。
ここでいう環境とは、男女は別教室で学ばなければならない、女子教師が女子生徒に教えなければならない、女性は外出する際にヒジャーブ(頭髪を覆うヴェールの一種)を被らなければならない、といったことを指すと推測される。なお、待機を強いられている女子生徒の対象学年は、クラス7~12(日本の中学1年生から高校3年生に相当)である。
ターリバーンが女子教育を制限する要因には、戦争孤児や対ソ連戦の戦いに身を置いた戦闘員が中枢を占める男性社会が築かれてきた中で、女性を軽視したり排除したりすることがその狭い社会の中で評価されジハードの正当性を誤った形で高める役割を果たしてきたことがある。
ターリバーン指導部は、仮に女性に対して自由や教育・就労の機会を与えると、原理原則を曲げて妥協したとしてターリバーン内部での支持を失う(Ahmed Rashid, Taliban, p.111)。女子教育の制限はシャリーアに基づいていない、しかし制限を解除すればターリバーンが自壊する恐れがあるというジレンマが存在しており、一筋縄ではいかない問題である。
女子教育の再開が国際社会の争点にまで発展している
ここで問題となるのが、国際社会がアフガニスタンの資産を凍結していることに起因する財政危機である。2021年8月15日、ターリバーンが政権奪取をしたことで、アメリカは95億ドル(約1兆円)の資産を凍結した。また、国際通貨基金(IMF)や世界銀行も、ターリバーンがアフガニスタン政府の資産にアクセスすることを制限している。
これに伴い、国庫が枯渇し、銀行には資金がない状況に陥っている。市内の銀行では、預金引きおろし制限により、多くの市民が長蛇の列をなしている。失業が深刻化し、通貨アフガニーは下落、物価は高騰する中、寡婦の中には生活のために子どもを売るものや、現金を得るために家財道具を売り払う人々が後を絶たない。
この意味で、女子教育再開という問題は、ただのターリバーンによる統治方針の枠を越えて、国際社会による資産凍結解除を争点とする対外問題に発展している。民主主義諸国の中には、民族・政治的包摂性を政府承認の条件とする国以外にも、女性の権利保障を条件に挙げる国もある。女性の権利を巡って、国際社会とターリバーンが対立する20年前の状況が再現されている。