都市部の女性はスマホを操る一方、7割の農村部は…

このように、アフガニスタン社会においては緩やかな中央・地方の関係性が通史的に存在しており、地方では伝統的な部族統治が行われてきた。部族統治の中ではパシュトゥーン・ワリーが法律の役目を果たし、ジルガが事実上の政府であり、客人歓待や女性の尊厳が村人の日常の行動を決めている。

とはいえ、21世紀の我々が住む時代は、欧米からの最新技術や文化の流入、あるいは情報技術の発展によって人々の暮らしは様変わりしている。カーブルや地方の大都市では、瀟洒しょうしゃなスーパーマーケットが立ち並び、若者はスマートフォンやパソコンを自在に操り、音楽や踊りや映画を楽しむ生活を送っている。アフガニスタンに駐在した多くの外国人にとって、彼ら・彼女らの接するこうした生活を送るアフガニスタン人は、日本人の我々とさほど変わらないように見えるようである。

しかし重要なことは、今でもアフガニスタンの人口の7割超は農村部に暮らしており、そこでの人と人のつながりや社会のあり方、そして人々の信ずるものや行動規範は大きく変わっていないということである。

アフガン人は来客に女性の家族を見せない

筆者はアフガニスタンに滞在した約7年間で、幾度も友人から邸宅に招待を受けたことがあるが、そうした場面で男性ホストの女性家族構成員と顔を合わせたことはほとんどない。

唯一の例外は、ホストが学生時代にアメリカにフルブライト奨学金留学生として暮らしたことがある家庭のみで、その意味では彼の暮らしはアメリカ式であった。その他の家庭では、たとえカーブルに暮らし国際機関に勤めるアフガニスタン人であっても、女性の尊厳を厳格に護るのである。

そして、たとえ家計が苦しくとも、客人に対しては最大限のもてなしを行い、勇気や復讐といった価値を命よりも重く考え、外部者がアフガニスタンの国の独立や人々の尊厳を脅かそうものなら命を懸けて抵抗するのである。この本質は今でも全く変わっていない、と筆者には思える。

勝藤の前掲書は、以下の文章で締め括られている(下線は筆者による)。

パシュトゥン人の大部分が遊牧的生活を捨てない限り、かれらの伝統は失われないであろう。一方、都市に住みついた一部のパシュトゥン人は、パシュトゥヌワレイを忘れたかの如く、ヨーロッパ的文明生活を楽しんでいる。かれらにとって英語かフランス語の方がパシュトゥ語より容易である。かれらは村落のパシュトゥンを未開蒙かいもう民としてさげすむ。しかしかれらが国家の統治者であるからには、国の権力を国内の隅々にまで及ぼさなければならない。

復讐に代るに法の尊厳を教え、「集会」に代る村議会を組織せしめなければならない。

しかし、このことはまだ甚だ不充分である。下級役人の中には、パシュトゥヌワレイを知って、アフガニスタン国憲法の存在を知らぬものもある。

今日のアフガニスタン国を理解するには、この国の人口の6割を占める支配民族たるパシュトゥン族の伝統を理解しなければならないであろう。