※本稿は、青木健太『タリバン台頭』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
タリバンの当面の目標は治安の安定や民心掌握
アメリカがアフガニスタンに軍事介入したのが九・一一事件の反動であったことを踏まえると、今後、アフガニスタンが再び「テロの温床」化するか否かを見極めることが国際社会の平和と安定にとっての鍵である。ターリバーン(タリバン)が実権を掌握したアフガニスタンが、将来、国際テロ組織の策源地となる危険性はどれくらい高いのだろうか。
そもそも、ターリバーンは1990年代に無秩序状態に陥った祖国を救うために生まれた政治運動であった。このため、ターリバーン自らが国外に打って出て、脅威を拡散させる姿は俄かに想像しにくい。2001年以降もターリバーンは、①外国軍の放逐、②イスラーム的統治の実現の2点を、公式目標として堅持してきた。
カーブル陥落を経て国の統治主体の側に立ったターリバーンは、既に目標①を達成しており、今後は目標②の実現に向けて、内部の問題を抱えながらも、邁進すると考えるのが妥当である。その具体的な中身は、治安の安定化、および行政サービスの再開を通じた民心掌握といったことだ。したがって、ターリバーンが思い描く「版図」は、原則的に、アフガニスタン国内に限定されている。
20以上の国際テロ組織が潜伏するアフガニスタン
しかし、これはあくまでも外側の聴衆向けの説明であり、実際にはターリバーンとAQ(アル゠カーイダ、アルカイダ)は密接な関係を維持してきた。AQ以外にも、合計20以上の国際テロ組織が、アフガニスタンに潜伏していると見積もられている。これら国際テロ組織が、アフガニスタン国内で力を蓄え、他国に危害を及ぼす危険性は決して消失していない。
AQは、ソ連軍のアフガニスタン侵攻中にジハードに参加していたウサーマ・ビン・ラーディンとその同志たちによって1988年に結成された。ビン・ラーディンはソ連軍撤退後の1989年にサウジアラビアに帰国したものの、サウジアラビアは自国の政策に対して批判を強めるビン・ラーディンを国外追放した。
1991年の湾岸戦争に際して、サウジアラビアが、アメリカ軍の駐留を認めたことに反発したのである。これを受けて、ビン・ラーディンはスーダンに渡り、1996年にはアフガニスタンに本格的に拠点を移すことになった。