アカデミー賞が目指していた変革を台無しにした
第94回アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスがコメディアンのクリス・ロックをビンタした事件は、世界中に生中継されて大きな波紋を呼んだ。
ウィル・スミスというアメリカ、いや世界で最も愛されている俳優と、アメリカのコメディ界のトップスターによるこの一件は衝撃を与え、アメリカでは一時ウクライナ情勢よりも大きく報道されたほどだ。
さまざまな報道を見ているうち、日本とアメリカでは受け止められ方に温度差があることにも気づいた。
日本ではウィル・スミス擁護派がマジョリティーなのに対し、アメリカは逆なのである。その背景には、日本とはまったく違うお笑いの質やジョークの受け止め方ももちろんあるだろう。しかし、それ以上に着目しなければいけないのは、今年のアカデミー賞が目指していた変革をウィル・スミスの行動が台無しにしてしまったと、多くのアメリカ人、特にアフリカン・アメリカンが考えていることだ。
米国メディアの論調やアフリカン・アメリカンの声も交えてリポートする。
当初は「病気をネタにするなんて」と同情的だったが…
まずは出来事をもう一度振り返ってみよう。
長編ドキュメンタリー賞のプレゼンターとして登場した人気コメディアンのクリス・ロックが、ウィルの隣に座っていた妻のジェイダ・ピンケット・スミスをネタにしたジョークをかました。
「ジェイダ、アイラブユー、君が“G.I.ジェーン2”に出るのを楽しみにしているよ」分かりやすいジョークだった。短く剃り込んだヘアで輝くように美しかった彼女を、映画『G.I.ジェーン』で髪型が大評判になったデミ・ムーアに例えたのだ。私も、隣で見ていたアフリカン・アメリカンの夫も、むしろ褒め言葉だと思ったほどだ。普段からきついジョークで人をいじるクリスにしては、おとなしい内容とさえ思った。
だから、ウィルが席を立ってクリスの前に歩いていき、彼をビンタしたときには何が起きたのかまったく分からず、唖然としてその展開を見ているしかなかった。
そして騒動の直後にSNSを駆け巡ったのが、実はジェイダが脱毛症だったという事実である。「病気をネタにするなんてクリスはひどいじゃないか」と、ジェイダへの同情コメントで溢れかえった。