そこからの進行はとても早かった。数分後にはウィル・スミスが『キング・リチャード』(邦題:ドリームプラン)で主演男優賞を受賞したのである。

そのスピーチで彼は、主催者の米映画芸術科学アカデミーに対し涙を流して謝罪しながら「愛は人をクレイジーにさせるものだ」と自分がジェイダを守ろうとしたのだと訴えた。これには会場も総立ちの拍手となり、皆が受賞と共に彼の行動を祝福しているかに見えた。

しかしそれは長くは続かなかった。

「朝の顔」黒人ジャーナリストが厳しく批判

一夜明けると、ウィルを擁護する意見が多かったのが、いくら妻のためだとしても、暴力は決して許されないという論調に変わり始めたのだ。

強い影響を与えたのは、米放送局のABC、NBC、CBSという3大ネットワークの朝番組に出演する、2人のジャーナリストである。平手打ちしたウィル・スミス、やられたクリス・ロックと同じアフリカン・アメリカンである2人がウィルを厳しく批判したことで潮目が変わった。

まず、翌朝のABCテレビの「グッドモーニングアメリカ」は、現地リポーターのT.J.ホルムズが「どんな理由であれ暴力に言い訳はできない」とはっきり言い切り、ウィルを批判した。NBCの「トゥデイ」のキャスター、クレイグ・メルヴィンはこう指摘した。

「アメリカ人は子供に対し、何があっても暴力はいけない、感情をコントロールしなければならないと教える。一方で長い歴史の中で、有色人種の男は怒りをコントロールできないと思われ続けてきた」
「それなのに最も愛されている有名なアフリカン・アメリカンが、それを見せてしまった。これでは今後が本当に心配だ」

「これだから黒人は…」冷たい視線が復活してしまう

実は筆者の夫も、ビンタを目の当たりにした瞬間確かにこう言っていた。

「このせいで、アフリカン・アメリカンの立場はもしかすると20年くらい前に戻ってしまうかもしれない」

今回の一件はアフリカン・アメリカンから見ると、ただの2人のセレブリティの争いだけにとどまるものではない。クレイグ・メルヴィンが言ったように「これだから黒人は……」という社会の冷たい視線が復活してしまうのではないかという懸念だ。そして、同じくアカデミーから見ても、何年もかけて実現しようとしていた変革が丸つぶれになったと感じた瞬間だったのである。

彼らはいったいどんなことを懸念しているのか。これを理解するためには、ハリウッドを含めたアメリカの歴史を知る必要がある。