合わせて100円にしなかったメーカーだけが残った

1975年、「カルビーポテトチップス うすしお味」が100円で発売。この“価格破壊”はポテトチップス業界に衝撃をもたらした。当時、湖池屋を含む各社は150円の横並び。100円に下げれば利益は出ない。それはカルビーとて同じことだが、「かっぱえびせん」で十分に儲かっていたカルビーは採算度外視で勝負に出た。

「社長だった親父(湖池屋創業者・小池和夫氏)は『大変なことになった』と言っていました。当時ポテトチップスメーカーは約100社あり、カルビーさんに合わせて100円に値下げするメーカーも出てきたけど、湖池屋は変えませんでした。うちくらいの会社規模じゃ、100円ではとてもやっていけないんです。結果どうなったかというと、値段を下げなかったメーカーだけが残りました」

カルビー参入からしばらくの間は、湖池屋もカルビーと一緒に売り上げを伸ばした。ところが3年くらいたった頃から、大きく水をあけられる。

「カルビーさんの品質が良くなったんです。ポテトチップスの製造はノウハウが必要なので、どんなメーカーでも参入当初は品質が十分じゃない。だから参入当初のカルビーさんが『50円安い』というのは、ある意味で妥当だったんです。ところが、カルビーさんの品質が徐々に上がって湖池屋との品質差が縮まってくると、『湖池屋が50円高い』ことが市場で通用しなくなっていきました」

コンソメパンチ登場の衝撃

そして、小池氏をして「カルビー最大のヒット作」と言わしめる商品が世に放たれる。1978年に発売された「ポテトチップス コンソメパンチ」だ。

当時のポテトチップス市場は“塩はカルビー、のり塩は湖池屋”という構図。湖池屋はほかにバーベキュー、カレー、ガーリックといった味も出していたが、市場全体として味のバリエーションはそれほど多くなかった。

そこに今までになかった味として「コンソメパンチ」が登場した。コンソメとは本来、牛肉・鶏肉・魚などからとった出汁に肉や野菜を加えて煮たスープのことだが、本物を口にするより前に「コンソメパンチ」がコンソメの初体験だった日本人は多かっただろう。

「コンソメパンチ」はまたたく間に人気を博し、カルビーはさらに躍進する。孝青年が父親の会社・湖池屋に入社するのはその2年後、1980年のことだ。