「この会社、もつだろうか?」
「カルビーさんが最初に100円で参入してきた時、親父は僕を会社に誘わなかったんです。『こりゃあ会社がもたないぞ』って思ってたんじゃないかな。ところが意外と3年くらいはもったので、息子を呼ぼうということになった。だけど入社してみると、やっぱり業績は悪い。これは大変だなと。いずれこの会社を継ぐんだと覚悟は決めていましたが、それまでこの会社もつだろうか、と思っていました(笑)」
「僕の入社時点で、カルビーさんの会社規模は湖池屋の10倍もありました。うちはようやく名古屋と大阪に営業所を出したくらいだったので、全国ネットワークがない。関東と東北を中心に売っていたんです。カルビーさんは創業の地が広島ですから、西日本はめっぽう強い。だから西日本では湖池屋よりカルビーさんのほうがポテトチップスの老舗メーカーだと思われていたんです」
「全部、カルビーの逆を行こう」
カルビー参入年に集計された1975年の国内ポテトチップス市場シェアは、湖池屋が27.6%で1位。しかし1984年にはカルビーが79.9%と圧倒的なシェアトップとなり、湖池屋は9.0%と激減。このまま同じ戦い方をしていては、いずれ淘汰されてしまう。そこで出た結論が「全部、カルビーの逆を行こう」だった。
「当時ポテトチップスのメインターゲットは女性と子供でしたから、逆に大人の男性に食べてもらうべく、辛い味付けで行こうと決めました。売り場もお菓子売り場でなくておつまみ売り場。原料がジャガイモなのは同じだけど、カットは薄切りスライスではなく、おつまみ感のあるスティックタイプ。値段も、150円でさえ高いと言われていた中で200円。さきいかなんかは大抵300円くらいしていましたから、それと比べれば別に高くない」
「要するに、あらゆる面でポテトチップスっぽく見せたくなかったんですよ。『ポテトチップスだけど、ポテトチップじゃないもの』を作ろうと思ったんです。『カルビーのポテトチップス』と比較されないように」