「赤城しぐれ」なくして「ガリガリ君」なし

64年の発売から順調に売れ続けていた「赤城しぐれ」は、オイルショックで状況が一変し、赤城乳業の氷菓子事業史上初となる危機を迎えてしまう。

73年の第1次オイルショックでは原油価格だけでなく物価が高騰し、世界経済は大混乱に陥った。日本への影響も大きく、赤城乳業は運送費や材料費の高騰に耐えきれず、第2次オイルショックのさなか「赤城しぐれ」の価格を30円から50円の値上げに踏み切った。そんな中、予想に反して体力のある大手アイスクリームメーカーは価格を維持する方向に打って出たため「赤城しぐれ」は衰退し、たちまち売れ行きが激減。つまり、競合他社に先駆けて値上げをしたことが悪影響を及ぼしてしまったことは言うまでもない。

また、この時代のアイスの大半は駄菓子屋やスーパーなどの小売店で売られていた。そこでは大手アイスクリームメーカーの「雪印」「明治」「森永」「ロッテ」などのステッカーが貼られたアイスストッカー(アイスショーケース)が無償で貸し出されていた。窮地に立たされた赤城乳業は自社でアイスストッカーを準備する余裕がなかったため、この危機的な状況を打開すべく社運を賭けた新商品開発へ着手することになった。

新商品開発のテーマは、「子供が遊びながら食べられるアイス」。当時の子供たちは、社交場である駄菓子屋の店先や公園でメンコやベーゴマ、ゴム跳びなどをする時代だった。子供の社会に“溶け込む”(アイスだけに)商品開発をテーマに、片手で遊びながら食べられるアイスを構想した。

ガリガリ君は3種類のフレーバーから始まった

かき氷をアイスの棒に固める以外にも、新たなフレーバーを生み出す必要があった。当時の主力商品だった「赤城しぐれ」を超える大ヒット商品を生み出すためだ。「赤城しぐれ」の“いちご味”を模倣するのは目新しさに欠けてしまい、話題性を作りづらい。子供たちが好む味を徹底的に調べ上げ、たどり着いた答えが当時の子供たちに人気の高かった「炭酸飲料」だ。そこから「ソーダ」と「コーラ」味が候補に挙がった。そして、人気が高かったグレープフルーツジュース味も加え、この3つのフレーバーを開発することとなる。

筆者撮影
「ガリガリ君」の商品パッケージには3種類のデザインがある。

ちなみに、今でこそ「ソーダ」と言えば、誰もが「青」を思い浮かべるが、当時のソーダの色のイメージといえば「無色透明」。実際に透明のソーダ味のアイスキャンディーを作っても白っぽいアイスキャンディーとなってしまい、完成品だけを見ても何味かイメージが湧かなかった。そこで、赤城乳業は“子供たちが外で元気よく遊ぶ姿”から空や海をイメージしてソーダ味を「青」にした。