ある熱血教師の過労死

この項の内容は、2019年4月16日付神奈川新聞の記事を参考にしたものである。07年6月25日、横浜市立あざみ野中学校の教員だった工藤義男さんは、クモ膜下出血でこの世を去った。まだ40歳だった。

前任中学校では学年主任、生徒指導専任を兼任していた。これは激務のため市教育委員会で兼任を避けるように指示していた役職だという。その上、サッカー部の顧問、進路指導も兼任していた。転任先のあざみ野中学でも、生徒指導専任に就任した。

朝7時に出勤。夜10時まで勤務。家でも持ち帰り残業。生徒が校外で問題を起こせば駆けつけ、保護者にも対応し、週末は部活動指導。最終的に、3年生の修学旅行の引率で2泊3日をほぼ不眠のまま働いたことが、クモ膜下出血の引き金となった。

妻の祥子さんは地方公務員災害補償基金(地公災)に対し公務災害の申請をしたものの、2年も待たされた上、却下された。祥子さんは過労死弁護団(過労死問題を専門的に扱う弁護士団体)の協力を得ながら、裁判でいう二審にあたる審査請求を行った。最初の却下からさらに2年が経過した12年12月27日、ようやく労災と認定された。義男さんが亡くなってから5年半も経過していた。

統計には表れない悲惨な過労死もある

義男さんのケースは、これでも幸運な方だったという。校長が協力的だったからである。公務災害にあたっては、所属長すなわち校長による「勤務実態調査書」が申請書類となる。校長は過重労働をさせた張本人に当たるので、保身のため、どうしても協力が後ろ向きになり、遺族が泣き寝入りを強いられる。

明石順平『人間使い捨て国家』(角川新書)

過労死問題に詳しい松丸正弁護士はこう述べる。「在職中の公立の教員は、年間で約500人が亡くなります。各種統計や自分の経験則を踏まえると、少なくともその10分の1、つまり50人近くは過労死と考えられる。現在、実際に認定されるのはさらにその10分の1です」

そして、祥子さんはこう指摘している。「過労で苦しむ先生が相談するとしたら、学校内なら教頭や校長、校外なら教育委員会や人事委員会になる。つまりその環境をつくっている側なんです。責任を負うべき側が積極的に動いてくれるわけがない。民間の労働基準監督署に当たる指導権限のある第三者機関がないと、本当に困っている先生たちは救えない」

労働時間がきちんと記録されていない上、公務災害の申請には過重労働をさせた側である校長が書いた書類が必要という構造になっている。だから、遺族は過労死に加え、公務災害の不認定という二重の悲劇に遭う。統計に表れない悲惨な過労死がたくさん存在している。