第三者を味方につける

このように、ネット上のコメントで議論に持ち込むのは避けるべきだ。公開討論になれば、こちらが不利になることが多い。ある医療機関では、担当したスタッフの態度が悪いとして、批判めいたコメントがなされた。

医師からは、コメントについて反論を記載するべきかと相談を受けた。これについて、私は「現状では反論しないほうがいいです。かえって反省しないクリニックという印象を与えかねません」と説明した。

コメントを残すのであれば、「ご不快を与えたようで申し訳ありません。当社としても事実関係を確認させていただきたいと考えております。つきましては具体的な内容について直接連絡をいただけないでしょうか」というものがいい。

これを目にした第三者は「会社として意見を聞いて事実を確認しようとしている」という真摯な印象を受ける。先の事例でも、このような趣旨のコメントを書いたら、すぐに鎮静化した。実際には連絡など来なかった。

反論せずにあえて放置、良識に任せるのも手

ネットの書き込みについては、あえて何も反論せずに放置しておくというのもひとつの手である。クレーマーの記載内容は、ときに過激な表現になることがある。こういった過激な表現は、良識ある人が見れば不可解なものに映る。

何かを批判することと過激な表現をすることは意味が違う。穏やかな表現でも、クリティカルな批判をすることができる。逆に過激な表現でも、無意味な批判もある。

あまりに過激な表現は、むしろ良識を疑わせる。過激な表現に対しては何もせず、目にした人の良識に任せるのもひとつの手だ。クレーマーとしても、反論がなければ、さらにコメントをすることができない。

反論がないのにひたすらコメントを書き連ねていくというのであれば、それだけで第三者から見れば不可解な状況だ。第三者としても「このコメントは信用できない」と感じてもらえれば十分である。

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