ロシア政府と浄土宗が領土交渉していたかもしれない

北方四島は過去一度も外国の領土になったことのない日本固有の領土である。江戸時代(1799年)、幕府は北方四島・千島列島・樺太の蝦夷(えぞ)地を日本の直轄領として開拓に着手。色丹島は、北方領土海域で漁をする船の避難港として整備された。

(上)択捉島の日本人墓地とロシア人集落
(中)倒れた墓もある
(下)択捉島の博物館には梵鐘が展示されていた

明治に入ると、北海道は新政府によって本格的に開拓が進められることになる。しかし、北海道はあまりにも広く、また新政府の予算も潤沢ではなかったため、地方の藩や有力寺院などに土地を分け与えて支配させたのである。これを分領支配という。

1869(明治2)年、真宗大谷派や浄土宗が開拓事業に参画していく。同年9月、新政府が増上寺に割り振った開拓地が色丹島であった。この時、正式に増上寺の寺領として組み込まれている。

だが、寺領であったのはわずか1年ほど。1870年新政府に上知(土地の没収)されている。当時、日本は神仏分離政策を断行中で、寺院領は宗教儀式で使うための敷地以外はことごとく没収された。

仮に今日まで増上寺が色丹島を保有していたならば、北方領土交渉は今とは少し異なる道筋をたどることになっただろう。ひょっとして、ロシア政府と浄土宗が独自交渉を進める、なんてことが生じたかもしれない。

元島民の平均年齢は現在83歳。北方四島で墓参りするには限界の年齢が近づいている。一進一退を繰り返す北方領土交渉。ご先祖さまの御霊はいまでもしっかりと「故郷」に存在し続け、交渉の行方を見守る。

(写真=iStock.com)
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