北方領土返還に関して安倍首相がトーンダウンしている件
私にとって2月7日は、少し特別な日だ。だが、その日が、何の日か知っている人はそう多くはあるまい。
「北方領土の日」である。北方領土の日は「島々がソ連によって占領された日」と考えてしまいそうだが、違う。択捉島の北側に国境線が引くことを合意した日露和親条約が締結された日(1855年2月7日)にちなむ。
1年前のこの日、私は北方領土返還要求全国大会の場にいた。今年はここ京都の地でニュースを見ながら安倍晋三首相の言葉に耳を傾けた。そして、微妙な表現の変化に気づいた。
昨年、首相は、
「北方四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結するとの基本方針の下、一つ一つ、課題を乗り越え、交渉を進めてまいります」
と語気を強めた。つまり、択捉島から歯舞群島までの四島すべてが日本に帰属するとの前提に立った文言であり、四島返還への決意がそれなりに感じられる内容であった。
だが今年は、
「日本国民とロシア国民が、互いの信頼関係、友人としての関係を更に増進し、相互に受け入れ可能な解決策を見いだすための共同作業を力強く進め、領土問題を解決して、平和条約を締結するとの基本方針の下、交渉を進めてまいります」
と、かなりロシア側に歩み寄った表現になっている。政府は事実上、四島返還は棚上げし、色丹島(しこたんとう)と歯舞群島(はぼまいぐんとう)の2島に絞って返還交渉を進めつつある。名を捨て、実を取ることに舵を切ったかのようにも思える。
「2島返還」でさえも簡単ではない
だが、2島返還に妥協した、と言ってもそうは甘くない。
1月22日にモスクワで実施された首脳会談では両国の主張の溝は埋まらず、見通しは不透明だ。次は、6月に大阪で実施されるG20サミット(主要20カ国地域首脳会議)における日露首脳会談が山場となりそうだが、今のところ事態が動く気配はない。
さて、北方領土が私にとって特別だという理由は、過去3度(2012年、2013年、2015年)、北方領土を訪れている(択捉島、国後島、色丹島)からだ。ビザなし交流事業の同行記者として入域した。
今回のコラムでは北方領土のひとつで“2島返還”の島のひとつ、色丹島の知られざる過去について、お話ししたい。