「『正式』に眞子さんとキスをしたことがある」
「一度だけだが、『正式』に痴漢に襲われたことがある」
名文家と謳われる向田邦子の『恩人』の書き出しである。
読売新聞の「編集手帳」をやっていた竹内政明氏の『「編集手帳」の文章術』(文春新書)によると、書き出しの3原則というのがあるそうだ。
「短い、年月日から入らない、会話文から入らない」
付け加えれば、次が読みたくなるのが、うまい書き出しであろう。
1月22日に小室圭さんが公表した文書が、こう書き出していたらどうだっただろうか。
「一度だけだが、『正式』に眞子さんとキスをしたことがある」
眞子さんと圭さんがキスを交わしていたかどうかはわからないが、年頃の普通の男女ならキスぐらいしていても不思議ではないだろう。
だが、この2人の場合、デートの時、手をつないで歩いていたというだけで非難の矛先を向けられるのだから、キスをしたことがあるなどといったら……、想像するだけでも恐ろしい。
戯言はこれぐらいにして、小室圭の文書に戻ろう。
「国民の理解を得る説明」どころではない
正直、私もこれを読んだ時、まずいと思った。
内容以前に、なぜ、貸したカネを返せといい募っている母親の元婚約者と、第三者を通じて事前に話し合い、ある程度の妥協点を見出してから公表しなかったのかと思うからである。
もちろん、元婚約者に接触すれば週刊誌などにベラベラしゃべってしまうだろう。そのリスクを考えに入れても、「金銭問題はすべて解決済み」と切って捨てるより、はるかによかったはずだ。
これまでは元婚約者の一方的ないい分だけが週刊誌に載っているだけだったが、母親佳代が婚約中に金銭的な支援を受けていたことをはっきり認め、元婚約者側が、生活費まで佳代が要求してくることに嫌気がさして婚約を解消したこと、彼のほうからカネを返してくれという要求があったことなど、彼の話の大筋を認めたのである。
「母が婚約期間中に受けた支援については清算させていただきたいとお伝えしたところ、元婚約者の方から『返してもらうつもりはなかった』という明確なご説明がありました」といったところで、相手はそんなことはいっていない、カネを返せといっているのだから、どこまでいっても藪の中で、何ら解決にはならない。
秋篠宮がいっている「国民の理解を得る説明」どころではなく、不信感を増幅することになってしまった。