49歳から内科医として離島勤務を開始
41歳で医大生になった木村氏。国立のため授業料は年間30万円程度だったが、退職金はわずかだったので、家庭教師のアルバイトで学費を捻出する予定だった。しかし2年目から授業料免除になり、家族の援助もあって、学業に専念できた。
「若くないことのデメリットは感じました。胃カメラや手術など、技術の習得の速さは若い人には敵いません。年の功は後になって気づきましたね。医師は頭のよさや若さだけではなく、人生経験がプラスになる職業。患者さんに信頼してもらいやすいメリットもあります」(同)
その後、47歳で医師国家試験に合格。研修医を経て、49歳から内科医として離島勤務を始めた。精神疾患を持つ患者とふれあう中で、精神科に転科することを決めた。
木村氏は、「もっと早く医者になっておけばよかった、という気持ちはありません」と語る。「教師をしていた17年間は、生徒たちと一緒に喜んだり感動したり、たくさんの思い出が詰まっている。もし最初から医者だったら、2つの人生を味わえていなかった」からだ。
では年をとって難関資格を取れば、誰もが新しい人生を謳歌できるのだろうか。その質問に、木村氏は首を横に小さく振った。
「今やっている仕事がうまくいかない、つまらないという理由で、次の道に進もうとしても難しいのではないでしょうか。そのときに置かれている環境でやれることをやりきって、必要とされる存在になってから辞める。それができた人が、資格を活かしてもうひとつの人生を歩めるような気がします」(同)
弁護士
青山東京法律事務所代表。1957年生まれ。81年、東京大学法学部卒業。東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。米国ダートマス大学MBA取得。ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)、野村アセットマネジメントを経て、法律データベース会社・レクシスネクシス・ジャパンの日本支社長に就任。2010年に弁護士登録。14年6月に青山東京法律事務所を開業。
木村 勤(きむら・つとむ)
医師
鹿島記念病院院長。1949年生まれ。74年、明治学院大学社会学部卒業。91年3月まで、埼玉県で小学校教諭を務め、同年4月、宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)入学。96年、医師国家試験に合格。内科医として長崎県五島列島の奈留病院に勤務。その後、精神科医として経験を積み、宮城県石巻市の恵愛病院の院長に着任。2012年3月より現職。