普通の小学校教諭が41歳で医学部合格

短期間で自分を追い込んで成功した植田氏に対し、「定年までに受かればいいと考えていた」というスタンスで難関試験を突破したのが、鹿島記念病院院長の木村勤氏だ。

医師 木村 勤氏

母が看護師で、子どもの頃の愛読書がシュバイツァーの伝記。医師に憧れて医大を受験したが、一浪中に関心が変わり、大学は社会福祉学科を選んだ。さらに学童保育のボランティアを通して教師になりたいと思い、公立小学校に就職。転機が訪れたのは38歳で、「教頭試験を受けないか」と打診されたときだった。

「学級担任として子どもと関わり続けたかったので、教頭になるのは転職するような気がして断りました。そのとき、教頭試験に充てる勉強時間を使って、医師を目指したらどうなるんだろうと思ったんです」(木村氏)

自分の気持ちを確かめるため、試しに英語の勉強を始めてみると、3日、3週間と続いた。問題集を1冊ずつ増やしていき、3カ月目には5教科すべてが揃い、医師を目指す気持ちが本格的に固まった。

勉強時間は1日、約3時間。片道30分ある車での通勤時間には、録音した暗記事項を聞きながら運転をした。息抜きのサウナに行くときも、参考書を読みながら歩き、サウナの中で反芻し、休憩室でも勉強した。少しの時間があれば勉強に充てる一方、健康を維持するため、毎日7時間の睡眠時間を確保。また唯一の楽しみである、寝る前の30分の読書だけは欠かさなかった。そして勉強開始から3年後、医大に合格する。

「教師だったので、『あと何年で合格しないといけない』というプレッシャーがなかったことがよかったのかもしれません。若い頃は悩みや雑念が多くて、なかなか勉強に集中できなかった。年をとってからのほうが能率がよかった気がします」(同)