文筆家、その他 白洲信哉
1965年、東京都生まれ。細川護熙元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュースする。父方の祖父母は、実業家の白洲次郎と随筆家の白洲正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。今年3月から古美術・工芸の月刊誌「目の眼」編集長。主な著書に『白洲家としきたり』(小学館)、『かたじけなさに涙こぼるる 祈り白洲正子が見た日本信仰』(世界文化社)、『白洲正子祈りの道』(新潮社)、『骨董あそび 日本の美を生きる』(文藝春秋)など。
新しい店の開拓には、あまり興味がないです。食事は、店と僕との“人づきあい”で、味の微妙なコントロールは長くつきあってみなければわからないと思うから。たとえば鮨屋に長く通うというのも意味があって、店側ではそのように仕入れもするし、人によって出すタイミングも変える。そうしたことは何度も通わないとお互いにわからないでしょう。そういう意味でも、新しい店を開拓してロスをするよりは、気に入ったところに何回も行くほうがいい関係になっていく気がします。だから、ほかに経営者がいる大きな店や、チェーン店のように料理人の顔が見えないところは、僕はダメ。料理人との信頼関係が築けない。人と味との調和が大事なんです。
「萬來園」は、あるテレビ番組でご主人と共演したとき、料理のプレゼンの仕方、家族でやっている姿がすごく印象に残りました。それで縁があって来てみたら期待どおり。ここはよそにない、オンリーワン。時々「この店の何がお勧めですか」と聞かれますが、ここは季節によっても人によっても出すものが違うし、メニューもないから、お勧め料理なんて答えられない。オーダーメードというより、英国流のビスポーク(Be Spoken)。話し合いながらつくりあげるんです。だから、「おまかせで何でもいい」というなら、この店に来る価値がない。ご主人の最高のプレゼンテーションは、もう一種の芸ですよ。食べたいという気持ちが湧いてくるんですから。
今年から古美術の月刊誌「目の眼」の編集長をやっています。骨董ブームを起こしたいわけではなく、普通のこととしてそろそろ何かをやらないと次の時代に繋いでいけないという危機感がありました。少しずつ間口を広げて、ある意味、男性のファッションにしていかないとダメなんですよ。「時計をするように、盃を持つ」ような時代をつくりたいんです。と、いうか、昔はそうだったんですよ。経済界の交際だって、ゴルフ場じゃなくて、お茶室でやっていたんですから。
よく「肩書は?」と聞かれますが、大きなお世話ってこと。許されるんだったら、僕は「その他」がいいですね。肩書で固定化するのは何のためかというと、世間のためでしょう。自分のためじゃないわけだから。昔、僕の子供の頃には何をやっているのかわかんない人っていっぱいいたんです。「あのお爺ちゃん、なあに?いつも家にいるよ」とか(笑)。そういうことが大事だと思いますね。いろんな人がいるってことが、社会のエネルギーだし。固定化しないで、いろんなことができる人は、枠を飛び越えてやればいい。編集長だけれど、原稿書いてもいいし、写真を撮ったって、いいでしょ?