坪内祐三
1958年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒。同大学院修士課程修了。雑誌「東京人」の編集者を経て評論家に。97年初の著作となる『ストリートワイズ』を刊行。99年には『靖国』を書き下ろし話題を呼ぶ。2001年『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』で第17回講談社エッセイ賞受賞。以後も、文芸、文化史、都市論、格闘技など幅広い分野でエッセイ、評論を展開し続ける。『一九七二』、『変死するアメリカ作家たち』、『東京』など著書多数。「週刊現代」と「新潮45」で新連載がスタートした。
いまは、ほぼ毎日原稿の締め切りがある状態で、つくづく原稿書きは体力だな、って思う。でも、実はそんな忙しい状態になってまだ十数年しか経ってないんです。
というのも、もともと僕はニートの時期が長かったんです。
1990年の秋まで「東京人」という雑誌の編集者を約3年間やるんだけど、その前後はニート。大学院を出た直後と、30代前半です。そのときに、それこそ時間つぶしに、毎日、早稲田大学の図書館に入り浸って、明治、大正、昭和のいままで書かれていない面白い出来事や人物を、古い雑誌などから探していた。
早稲田の図書館は、関東大震災でも空襲でも焼けてないから、震災以前の資料が残っているんです。東大の図書館は関東大震災で燃え尽きちゃったわけだけど。
そもそも明治、大正に興味を持ったのは僕の師匠である山口昌男先生の影響です。先生が当時、明治、大正の文化史の読み直しをされていた。世に出ている史実は、時代の主流ばかりで、そこから外れたインディペンデントでしかも面白い仕事をした人の話って、その人が死んじゃうと消えちゃうんですね。
そうした中で、松崎天民という明治生まれのジャーナリストに出会った。叩き上げの社会派新聞記者で、石川啄木も涙したという名文で知られた人物です。まだ一冊も自分の本を出していなかった96年に「ちくま」という雑誌で連載を始めて、中断をはさみながら今年40回で終了、『探訪記者 松崎天民』というタイトルでもうすぐ上梓します。
まだ「東京人」にいた90年頃、作家の常盤新平さんと人形町でよく飲んでいました。そんな中で「人形町には有名な洋食屋さんがたくさんある。ここはそんな名の知れたとこじゃないけど、すごくいいんですよ」と紹介されたのが「グリル ツカサ」(当時は「司」)です。それがたまたま知り合いの立教ボーイ、カズヒコの実家。今は彼がお店を継いでます。
「新橋お多幸」は、早稲田で講師をやっていたときの教え子たちと使ったりしてた。おでんだけでなく、串カツとかも美味しい。財布に優しくて、しかも贅沢な気分になれる店。1人でも、4人でも10人でもいける昔ながらの大衆居酒屋、日本的合理空間の店です。逆に最近の店って、空間配置をすごく気にしていますと言いながら、なんかコンピュータでつくったようなところがあるでしょ。
そうやって、夜はどうしても街に出るから、きちんと朝から仕事をしないと追いつかないですね。やっぱり体力勝負です。雑誌2冊で新連載が始まったし、次の書き下ろしもあるし、いまはいくら時間があっても足りない感じですね。