際立つ「引き際の美しさ」
「このように5人で揃う姿をお見せするのは実に4年半ぶり」
5月6日夜、嵐のファンクラブサイトにアップロードされた動画で、こう切り出したのは櫻井翔さんだ。
続いて、相葉雅紀さんが「私たちは(活動)休止前最後の1年コロナの影響で、みなさんの前でパフォーマンスをすることは叶いませんでした」と経緯を説明し、その後、大野智さんが、次のように述べる。
「解散」ではなく「活動を終了」と、ことばを選んだところに、「嵐らしさ」を感じさせるとも報じられている。
それもそうかもしれないが、何より私が感じたのは、この引き際の美しさだ。「2020年末での活動休止」を発表した2019年1月から6年あまりをかけて、軟着陸を図ってきたからだろう。
直後から、各社報道が相次ぎ、6日がたった今でも、おさまる気配はない。日本テレビ系列のnews zeroでは「嵐ロス」と報じられたが、多くの人が、その衝撃の大きさを受け止めきれない状況に陥っている。衝撃を受けたのは、コアなファンにとどまらない。かくいう私も、熱烈なファンではなかったにもかかわらず、「嵐」という国民的アイドルの不在に、「ロス(喪失)」を感じている一人である。
“終わり”までに9年間かけた
今回、まず目をひいたのは、先ほども触れたとおり、その「引き際の美しさ」だ。
これまでの経緯をまとめよう。
きっかけは2017年、リーダー、大野さんの「自由な生活がしてみたい」という一言だった。それから2年後の2019年、翌年末での活動休止を決め、会見に臨んでいる。会見では、決断までにメンバー全員で2年近くをかけて検討したことを説明している。
今回もまた、櫻井さんが「およそ1年半ほど前から、おりを見て5人で集まりまして、もう一度『嵐』として活動することについて話し合いを重ねてまいりました」と明かした。
2017年から足掛け9年、活動休止の公表からでも7年の長い時間をかけてファンに寄り添ってきたのが、この経緯からも見て取れる。
こうした丁寧でオープンな姿勢があったことが、嵐が、アイドルのなかでも特別な地位を築くことができた理由のひとつではないだろうか。

