NHK大河ドラマ「べらぼう」の舞台・江戸時代中期はどんな時代だったのか。歴史作家の河合敦さんは「田沼意次が商業重視の政策を進め、学問や芸術が花開いた。意次には『賄賂政治家』というイメージがあるかもしれないが、近年、この評価に疑問が生じている」という――。

※本稿は、河合敦『蔦屋重三郎と吉原蔦重と不屈の男たち、そして吉原遊廓の真実』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

田沼意次
田沼意次(画像=牧之原市史料館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

国民に染みついた「賄賂政治家」

田沼意次といえばもう賄賂政治家のイメージしか思い浮かばないという方が多いのではないだろうか。

やはり小説や時代劇の影響に加え、かつて学校でそう習ったからだと思う。

たとえば、およそ50年前の歴史の教科書を紐解いてみよう。そこには、確かにこう書かれている。

「意次はわいろを取ったりしたので、非難された」(『中学校社会歴史的分野』日本書籍1974年)

30年前の日本史の教科書でも、「意次は、賄賂による役職の売買などを非難されて失脚した」(『高校日本史』三省堂1993年)と明記されている。

今の歴史教科書に書かれている評価は…

また、田沼意次の屋敷には毎日大勢の客人が高価な贈答品をもって訪れ、客間はそうした人々であふれかえっていたという話は、松平定信と同時代を生きた松浦静山の『甲子夜話』に記されているし、意次が日本橋稲荷堀に下屋敷を新築したとき、「庭の泉水に魚を入れたらさぞ面白かろう」とつぶやいたところ、その日の夕方までに諸大名から続々鮒や鯉が贈られ、池には魚が群れていたという話もある。

また、これは俗説だろうが、さる大名は、等身大の京人形だと称し、大きな箱に本当の京美人を入れ、意次に進呈したという話も人口に膾炙している。

では、今の教科書は、田沼意次のことをどう評価しているのだろうか。

「意次の時代は、経済の発展を背景に、学問や芸術が展開しました。しかし、その一方で、地位や特権を求めてわいろが横行し、政治に対する批判が高まりました」(『新しい社会歴史』東京書籍2021年)
「意次の政策は、商人の力を利用しながら、幕府財政を改善しようとするものであり、これに刺激を受けて、民間の学問・文化・芸術が多様な発展をとげた。一方で、幕府役人のあいだで賄賂や縁故による人事が横行するなど、武士の気風を退廃させたとする批判が強まった」(『詳説日本史日本史探究』山川出版社2023年)