「学生」という身分を手放したら…

意を決して口火を切ろうとしたその瞬間、それまで何も言わずに仕送りを続けてくれた母が、何かを察したかのようにポツリ。「卒業だけはしてね」。

ハッとした。

自分が若い時に出来なかった分、息子には思う存分やりたいことをやってほしいと仕送りを続けてくれた母。すべて見透かされているような気がして急激に申し訳なさが込み上げる。中村さんは「裏切ってはいけない」と大学中退の決意をあっさり翻した。

そこからは、心を入れ替えて真面目に大学に通い始める。この頃には読書が習慣になっていた中村さんは、意外にも授業に面白さを感じた。それまで取りこぼしていた単位は、「単位の取り方」をハックするかのように先輩から学んで攻略。ギリギリの状態だったが、4年生の冬の試験を終えると、無事「卒業」の二文字が見えた。

ところがその途端、「学生」という身分を手放したあとの生き方が突きつけられる。

「あれ、卒業したら俺はどうするんだっけ……」

頭には、理不尽な思いをした高校時代のアルバイト経験がこびりついている。中村さんには、最初から就職の選択肢はなかった。

当時について話をする中村さん
筆者撮影
当時について話をする中村さん

活躍する友人たちがまぶしかった

実は在学中、憧れるクリエイターたちを真似て、いくつかの事業を試みていた中村さん。

最初はTシャツの手売り。白Tシャツにペンキローラーで色付けし、フリーマーケットで手売りしたが、食べていけるほどの収入にはならず、遊びで終わる。次にトライしたのは若者向けフリーペーパー。同世代のクリエイター志望たちと共に高円寺周辺を取材したが、結局発刊に至らなかった。フリーペーパーの延長線上に立ち上げたのがデザイン会社だ。先輩起業家と共同経営で事務所を借りたが、結局「これをやりきろう」とは思えずやめてしまった。

「何ができて何ができないかすらわからないから、世にあるできそうなことをやってみたんです。デザイン会社をやってみたけど、自分にはデザインの経験もないし、能力もないし、実はやりたくもなかったんですよ」

活躍する友人のクリエイターたちがまぶしかった。自分は何をしたら「これだ」と思えるんだろう……。焦りと強い劣等感が中村さんを襲い、卒業できるとわかった大学4年生の冬ごろから、鬱々と家に引きこもるようになる。

「お前、ヤバイよ…」そして、引きこもりに…

交流が続いていたクリエイター仲間たちにも自分から連絡をとることはなくなった。一度だけ断りきれずに飲み会に参加したときに言われた言葉は、「お前、ヤバイよ……」。太陽の光を浴びない生活を送っていた中村さんの顔色は真っ白で、髪も髭も伸び放題だった。

「お前大丈夫か」「仕事を紹介しようか」などと善意でかけてくれる言葉がすべて「バカにされている」ように聞こえた中村さんは、以来、ますます他人を遠ざけていく。

2005年3月に卒業すると、「学生」という身分が否応なくとっぱらわれて「ニート」になった。周りが当たり前のようにスーツを着て自立していく中で、中村さんは「ヤバい」まま。他人の目に常に「苛立ち」を感じ、まったく人と会えない状態になっていた。

「親御さんは心配しなかったんですか」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「卒業後に何かを言われることはなかったです。今考えると偉いと思うんですが、干渉しないって決めてたんでしょうね。ただただ仕送りを続けてくれていました」