あなたを羨んでいる人もどこかにいる
自信がない時や落ち込んでいる時、人は、自分を否定する理由を無意識に探してしまいます。まわりを見渡せば、「格上の人」はすぐに見つかるでしょう。
「人と比べるから落ち込む」のではありません。
実際はその逆、「落ち込んでいる時ほど人と比べたくなる」が正解です。
わざわざ負けるとわかっている相手を選んでしまうのも、当然と言えます。
私は視覚障害者です。「どのぐらい見えるか?」においてはかなり劣っている方でしょう。でも、それを人と比べて落ち込むことはまずありません。
あるとしたら、単に疲れているか、何かがうまくいっていないか、いずれにしても「すでに気分が落ち込んでいる時」なのです。そういう時は、「ハンディがある私はやっぱりダメなのかな」などと追い打ちをかけてしまいます。
そんなことを考えていると、本当にダメな気がしてくるものです。
大切なのは、比較による落ち込みを本気にしないことです。
「いかに自分が劣っているか?」という比較は、一部分の「自分のダメさ」がクローズアップされているにすぎません。
今見えていないだけで、あなたに優れている部分があること、人が「いいな」と思う何かを持っていることを思い出してください。
人間、誰しも隣の芝生は青く見えるものです。
そして、同じような目であなたを羨んでいる人もどこかにいるのです。
「手元にないもの」ではなく「持っているもの」を見て、ぴかぴかになるまで磨いてください。人と比べて落ち込む時間もなくなっていくはずです。
仕事なんてゲームのようなもの
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「誰と比べているのか」比較対象を思い出してみる
「まったくがんばっていない」「私ってホントにダメだな」
いまいちがんばれていない気がして、自分を責めたことはないでしょうか?
大事なことなので何度でも繰り返します。
仕事は人生の一部であって全部ではありません。
私自身、仕事を深刻に考えすぎて病気までしてしまった身。だからこそあえて言います。仕事なんてゲームのようなものです。
どちらも、設定されたゴールに向かってチームで協力し、達成すると報酬がもらえるようになっていることが多いでしょう。
ワーカホリックのように熱中する人がいるのもそのためです。
昭和の時代は、そういった仕事人間を美化する風潮がありました。
でも、冷静に考えてみてください。
仕事とはどのぐらいがんばるべきものなのでしょうか?
冒頭のように悩んでいた、ある新入社員の男性にこう聞いてみました。
「がんばっていない? 誰と比べてそう評価したのですか?」
つまり、比較対象を聞いてみたのです。
たとえば、「背が低い」という時、それは誰と比べての評価でしょうか。
おそらく平均身長でしょう。でも、たとえ平均身長より高い180センチだとしても、バスケの選手としては「背が低い」とも言えます。
問題は、そういった比較対象を意識せず、なんとなく絶対的なニュアンスで「背が低い」という評価を下してしまうことです。