松下幸之助と並ぶ昭和の名経営者、本田宗一郎は過激な言動で知られていた。しかし、ユーモアというオブラートに包んでいたので、マスコミのやり玉に挙がることもなかった。

昭和37年、国鉄が三河島駅で多重事故(三河島事件)を起こしたとき、本田は「国鉄は『乗せてやるぞ』というかっこうでお客さんに対している限り、絶対に(事故は)なくならない」と言い、「国鉄は最低の企業である」と主張した。孫正義、柳井正といったベンチャー経営者に対して、「生意気だ」とか「過激すぎる」という評もあるけれど、当時、50代だった本田が天下の国鉄総裁に「最低の企業だ」と言ったことに比べれば大したことはない。

著書『俺の考え』にはこんな話も載っている。

「ある青年の集まりで私にしゃべれというので、こういう話をした。私の前に某大臣がアジアに目を向けろという講演をした。私はそれをうけて、アジアに目を向けるなという講演をしたのだ。(略)

アジアに目を向けろということは非常にけっこうだが、昔の感覚で、アジアにはかなり日本の権益が認められているのだという上に立ってものをいうと、これはえらい間違いだ」

某大臣は本田の見立てたように「アジアは日本マーケットだ」くらいの、「上から目線」の話をしたのだろう。そこに、かっときて、まったく正反対の公演をするところが熱血漢、本田宗一郎である。

(PANA、Getty Images=写真)