「思いやりの心」のつくり方

仏教に「足るを知る」という教えがあります。足るを知るとは、そんなに欲張らなくてもいいではないか、そんなに腹を立てなくてもいいではないか、そんなにブツブツと不平を鳴らさなくてもいいではないか、ほどほどに、ええ加減にしなさいよということです。本能からしょっちゅう出てくる汚い心を少し抑えなさいというのが、「足るを知る」という教えなのです。

本能、煩悩をほどほどに抑えれば、そこには優しい思いやりの心が自然に湧き出てくるようになっています。自分は今幸せだと感謝しながら生きていけば、他人さまが喜んでくれるようなことをしてあげたいという、優しい思いやりの心が出てくるようになっているわけです。

また賢い人は、自分の良心と理性で、自分の心の中に思いやりの心が出てくるようにしています。

自分自身の心に対して、「オレがオレがと、そんなに欲張ったことを考えるのではない。そんなふうに考えるのではなくて、少しは他人さまのことも考えてあげたらどうだ。お父さんのこともお母さんのことも、妹のことも弟のことも考えたらどうだ。いや、友達のことも考えたらどうだ」と言い聞かせていく。

理性と良心で自分の心に語りかけ、自分の心が美しいものになるよう仕向けていくということを、本当は毎日しなければならないのです。

人間の心は庭のようなもの

20世紀の初め、イギリスにジェームズ・アレンという哲学者がいました。その人が書いた本(編集注 『「原因」と「結果」の法則』サンマーク出版)に、次のような意味の一節が出てきます。

人間の心は庭のようなものです。もしあなたが自分の心の庭を手入れしなかったならば、そこにはいつの間にか雑草の種が舞い落ち、雑草が生い茂る庭となってしまうでしょう。もしあなたが自分の心の庭にすばらしい花、美しい花を咲かせたいと思うならば、あなたが思う草花の種を植え、それを育て、あなたが望むすばらしい花々が咲く庭にさせるべきです。

あなたの心は庭のようなもので、手入れをしなければ、雑草が生い茂ってしまう。もしあなたが自分の心の庭に美しい花々を咲かせようと思うならば、雑草を抜いて耕し、自分が希望する草花の種を植え、手入れをしていかなければならないということです。

人間の心には本能、煩悩があり、放っておけば、欲と怒り、不平不満と愚痴で満ちあふれた心になってしまいます。これは私も含めて、どの人もみな同じですが、そういうものが雑草です。手入れをしなければ雑草だけが生い茂ってしまい、やがては手に負えないまでに雑草が生い茂る心になってしまうのです。