実母と義母を見送って
義母と同居し始めた頃は週4日で働いていた仕事も、やはり体力的に厳しく、義母が来て1年後には週3日に減らしてもらった。昨年義母が高熱を出して入院してからは、急変の知らせで病院に駆けつけなければならないことが増え、今年に入ってから週2日に減らしていた。
「義母が高熱を出して入院した時は、夫、長女、私とで24時間付き添いました。それぞれ仕事があるため、何とか交代で回していましたが、本当に大変でした。他にも物理的に一番しんどかったのは、在宅での就寝時、尿管を尿パックに繋いでいたのに、義母が勝手に外してしまい、衣服が尿でぐしょぐしょに濡れていただけでなく、便が枕元に置いてあった時です」
片岡さんは排泄に関する介護が苦手だったため、義母が部屋からトイレまでの壁を便で汚すようになった時は、毎晩夫にアルコールシートで消毒してもらっていた。
「精神的に一番きつかったのは、義弟夫婦にお金も家もあげてしまった義母のために、『私たちが施設のお金を出すの?』という漠然とした不安といら立ちに苛まれていた時です」
もともと悪かった義母の足がどんどん悪くなり、トイレの失敗が増え、認知症の症状も出てきたため、要介護3が出たのを機に特養を申し込んだ。だが、空くのを待つ間、夫とは何度か義母の施設費用のことで揉めた。
片岡さんは、「寛解中の夫のがんが再発したら」と思うと気が気でなく、自分たちが夫婦で過ごす時間が少なくなっていくことに焦りを覚えていた。
「私や義妹に対して“姑風”を吹かせていた義母は、『自分がしたことは将来自分に返ってくる』と反省している様子でしたが、本当だと思います。私は自分自身のために、義妹のようなひどいことはしたくありませんでしたし、自分が誰かの役に立っていると自信を持って思えることは、幸せなことだと思います。口に出して言われたことはありませんが、義母も夫も感謝してくれているということは伝わっていますし、義母と同居して、自分の老後を考えるきっかけになりました」
片岡さんは現在67歳。「理想の老後を過ごすにはお金が必要」ということを義母のおかげで思い知ったため、夫は65歳で定年退職しているが、定年前と同じペースで働き、片岡さんも義母を見送った後、出勤日を週3日に戻した。
「介護真っ只中で奮闘している人に『自分軸を大切に』と言っても、『自分さえ我慢すれば』となりがちですし、自分の生活を優先させると何となく後ろめたい気がしてしまいます。でも、自分優先で良いと思います。人生には後悔がつきものですが、私たちにも寿命があり、健康寿命は意外と短い。なので、残された時間で後悔のないように、時間ができたらやりたかったピアノや英会話などに本腰を入れようと思っています」
義母を引き取ったのは同情からかもしれないが、「ここまではできます。ここからはできません」という線引きとその確認をし続けたことは実に理性的であり、簡単にできることではない。
「自分のしたことは将来自分に返ってくる」ならば、片岡さんはきっと、望ましい老後が迎えられるだろう。