介護で拗れるきょうだい仲

片岡さんの母親は2020年、97歳の誕生日まで一人暮らしができていた。しかし主治医から「腫瘍が大きくなって、リンパ節への転移も見られます」と告げられると、頻繁に微熱に悩まされるように。

子どもの頃は仲が良かったはずの片岡さんのきょうだいたちは、この頃から母親の介護をめぐり、次第に亀裂が広がっていった。

片岡さんと長兄は比較的母親の近くに住んでいたが、次兄と姉は関東で暮らしていた。それでも母親が97歳の誕生日を迎え、頻繁に微熱を出すようになると、次兄と姉が実家に滞在することが増えた。そしていつしか次兄から、母親の施設入所の話が進められていた。

だが片岡さんは、「施設に入るのは、本当に自活できなくなってからでいいのではないか?」と考えていた。母親のケアマネジャーも、「まだ一人住まいは続けられます」と言っていた。

そこで姉に電話で相談すると、信じられない言葉が返ってきた。

「私や下の兄さんは、上の兄さんやあんたほど母さんから愛情を受けていないの!」

「ずっと優しくて仲の良かった兄や姉が、別人のように冷たくなっていて、ショックでした。そんなことを言い始めたら、私は成人式の振袖は姉のお下がりでしたし、姉の就職祝いにはアクセサリーを買ってもらっていましたが、私には何もありませんでした」

関東で暮らす次兄と姉は施設入所の話を母親に囁き続け、母親もその気になったようだ。42歳で交通事故に遭った長兄は、その後遺症のため、きょうだい会議にあまり参加できずにいたが、介護の仕事をしている長兄の妻が、「家も近いですし、私が通ってケアしますよ」と申し出ても「迷惑はかけられない」と言い、母親は次兄と姉が勧める施設に入ってしまった。

ここから、急激に母親の病状が悪化していく。母親は2020年12月、98歳になる1カ月前に、眠るように亡くなった。

夫の無配慮と義母の最期

義母は2022年、94歳の時に要介護3になり、1年ほどの空き待ちを経て、特養に入所した。

ところが2023年秋、高熱が出たため緊急搬送され、重篤な状態が続く。3週間ほどで病状は安定したが、喋ることも飲み食いすることもできなくなり、中心静脈栄養(高カロリー輸液)を行うことに。

「私が2年前の65歳のとき、坐骨神経痛を患ってしまったのですが、同じ頃、義母が足に入れていた人工関節が外れていたことがわかり、入院して手術することになりました。私は痛みを我慢して義母の入院準備をしていたのですが、夫が私のちょっとしたミスをしつこく責め続けた時は、怒り心頭でした」

片岡さんが「うるさい! それにしつこい! 大体誰の親よ? ストレッチャー押してあちこち検査に行くのも大変だし、私は足が痛いし疲れてるしで頭の半分も働いてないんよ? なんでそんな偉そうなん? もういい加減にしてよっ!」と一気にまくし立てると、さすがに夫は反省した様子。

暗い家の屋内で喧嘩した夫婦
写真=iStock.com/Chinshan Films
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その後も一日おきに義母の面会に行っていた片岡さんだったが、母親の葬儀から約3年半後、2024年4月に義母は亡くなった。96歳だった。

義母は深夜2時に亡くなった。片岡さんは38度を超える熱があったが、病院に駆けつけていた。そのまま通夜・葬儀に参列し、全てを終え、帰宅する頃には、夕方の4時を回っていた。

夫とは別々の車で来ていたため、熱のある片岡さんは、子どもや孫たちを送ってもらおうと思い、夫の車にチャイルドシートを付け変えようとした。すると夫は熱があると言ってあるのにもかかわらず、こう言った。

「お前が送ってやれよ!」

渋々孫たちを送っていってくれたが、配慮のない夫に怒りを感じた。

「もともと夫はワンマンな性格でしたが、義母の介護については協力しようと頑張っていたと思います。ただ、昔の子育てのとき、忙しいことを言い訳に、すべて私に任せていた癖が介護でも出て、その度に『誰の親やねん!』って私が怒って、喧嘩になりました。どちらにしても、夫は普通に働いていたため、ほとんど私任せでした」

葬儀のことは義母の望み通り、義妹とその息子には知らせなかった。