前へところがり続ければ、外からの“ネガティブ攻撃”をはねのけられる

もう一つがまったく逆で、

「石は、つねにころがっていれば、苔のような古いものがつかない。同じように人間も、活発にいろんなことにチャレンジし、活動していれば、時代に乗り遅れることなく前に進んでいける」

というものです。

「心の免疫力」を高める意味では、後者の解釈がピッタリです。つまり、

「向上心をエネルギーにして前へ、前へところがり続ければ、それが勢いになって、外からの“ネガティブ攻撃”をはねのけることができる」――。

そうぼくは考えています。

向上心は自分を成長させることができるだけでなく、自分を守ってくれるものでもあるのです。

きみたちにはこちらの解釈で、ローリング・ストーンでいくのがいいでしょう。向上心を持って前へ、前へところがり続けていると、もっと先を、もっと遠くをめざしたくなります。

なかには「向上心が持てない」と悩んでいる人もいるかもしれませんが、そんなときは「向上心を持とう」とするのでなく、向上心を持てそうなものを探すといい。

その気になれば、そこらじゅうにころがっています。

自分の“心の目”が何を見ているかを考える

誰にも「好きなこと」はあると思います。

たとえば学校の勉強のなかでも好きな教科はあるでしょうし、スポーツのなかでもこのスポーツを見るのが好きとかやるのが好きとか、音楽ならこのジャンル・この歌手・このバンド・この楽器・この指揮者が好き、食べ物ならこの国の料理・この食材が好きなど、「好き」なら、どんなものでもいいのです。

自分のなかにある、その「好き」にフォーカスすると、「もっと上達したい」「もっと詳しくなりたい」と、上をめざす気持ちが自然とわいてきます。

それが向上心の正体です。

きみの心の目は何を見ている?

若い女性のクローズアップ
写真=iStock.com/tLucidSurf
※写真はイメージです

自分が何を好きなのか、何に興味を持てるのか、よくわからないときは、自分の“心の目”が何を見ているかを考えてみるといい。

心の目が内側にばかり向いていると、「自分ってどうしてこうなんだろう」「自分ってここがダメなんだよな」というようなことばかり考えてしまいます。

その心の目をちょっと外に向けてみると、好奇心や興味の対象が見えてきます。

心の内側から外の世界を照らすような感覚で眺めてみる。すると何か一つや二つ、心が動かされるものと出合えます。

「それまでまったく興味がなかったものに、突然、心が動かされる」

という瞬間は、とてもおもしろく、刺激的なものです。

それに気づいたときに、“好奇心の芽”が生まれてくるでしょう。

ぼくの知り合いに、「たまたまWBCの試合を見て大谷選手のファンになり、気がついたらアメリカで観戦していた」という人がいます。それまで野球のルールさえ知らなかったといいますから、劇的な出合いだったといえそうです。

このように“心の目”を外に向け、そこで見えたものから自分の感性がどう動くかを観察するうえで、とても参考になる古典があります。

平安時代中期、一条天皇の中宮定子に仕えた女房の清少納言が書いた『枕草子』(上坂信男、神作光一全訳注、講談社学術文庫)です。

『枕草子』

清少納言はあらゆるものごとを列挙して、それぞれを自分の感性で好き、嫌い、風情がある、興ざめだ、などと一刀両断にしていきます。

たとえば「柳はまだ繭のような芽に風情がある。開ききってしまったものは不快だ」とか、「牛は額がせまく白色で、腹の下や足、尻尾などがすっかり白いのがいい」「上手でない琴を夢中になって弾いているのを聞くのはいたたまれない思いがする」など、迷いのない言い分が非常に小気味いい。「自分の感性をここまで肯定していいんだな」と思えてきます。

古典はとっつきにくいかもしれませんが、ここで出合ったのも何かの縁。「おもしろそう」と心が動いたら、手に取ってみてください。

現代語訳とともに“つまみ食い”感覚で読むうちに、「もっと知りたい」と向上心が高まっていくかもしれません。