9人が立候補した自民党総裁選は9月27日に開票される。政治評論を行う倉山満さんは「自民党は毎年のように国政選挙や総裁選を行う。国の舵取りを任せられる逸材は限られており、毎年出てこないということに気づいていない」という――。

※本稿は倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

「派閥解消」は自民党伝統のエクストリームスポーツだ

エクストリームスポーツとは、速さと過激さを争う競技のことです。令和6(2024)年夏、岸田文雄首相は派閥と政治資金の問題から「派閥解消」を唱えていました。自民党はこれまで何度「派閥解消」をしたでしょうか。わたくし、いちおう憲政史に詳しいつもりですが、その私でも今回が何回目の「派閥解消」なのか数えられないほど、これまで何度も何度も「派閥解消」が試みられてきました。思い出したように「派閥解消」しては、そのつど派閥が復活しているというのが自民党の歴史です。むしろ、派閥解消を言えば派閥抗争が激化するのが常です。

まさに今、起きているのもそれです。物を高いところから落としたら落ちる。そのぐらい自民党が派閥解消を言い出せば、派閥抗争が激化するのは自明の理です。

事実、岸田さんが「派閥を解消してきました」と記者会見すればインパクトがあったのに、「派閥解消を検討する」とか中途半端なことしか言わないので、「最後の親分」とも言われ決断力と結束力で定評があった二階俊博前幹事長が「派閥を解消する」と派閥総会で宣言。他の派閥も雪崩現象で派閥解消の動きを見せると、完全に出遅れた麻生太郎副総裁は「ウチは派閥を存続させる」と宣言。

このエクストリームスポーツ、ズルをやっていいトラック競技のようなもので、周回遅れの者がいつの間にか先頭集団の如く走っていて、私からしたらデジャブでしかありませんでした。

平成に入り自民党が下野してからクリーンな総裁選になった

昭和時代の自民党の派閥争いが、いかにえげつなかったか。しかし、平成に入り、自民党が下野してからは変わりました。野党になっての総裁選は、利権もポストも得られないので、実にクリーンな選挙です。自民党の各国会議員が自ら考えて投票しました。

日本国旗と投票
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平成5(1993)年の総裁選では、派閥の領袖で次の総理最有力と言われた渡辺美智雄を、派閥の領袖でも何でもない河野洋平が破りました。ミッチーさんには首相になってもらいたかったし、河野洋平そのものは、まったく評価しませんが、こういう形の総裁選が行われたこと自体は高く評価したいと思います。やはり野党になると、改革は進みます。

平成7(1995)年総裁選は、竹下登が推した橋本龍太郎が「チャレンジャー」のつもりで名乗りを上げたら、他派閥が雪崩現象を起こして橋本支持に。それを見た現職総裁の河野が敵前逃亡しました。これでは無投票で総裁選が盛り上がらないと思いきや、第二派閥の三塚派から小泉純一郎が出馬しました。