総理大臣の任期中に与党総裁選を行うのは日本ぐらい

そして、総理大臣の任期中に、与党の党首選挙を行うのは日本ぐらいではないでしょうか。イギリスでは、1回の総選挙で勝てば、次の選挙まで5年間、権力を握れるようにしています。途中で解散する必要はありません。総選挙をやれば必ず自民党が勝つ文化が定着している日本で「総理大臣の任期中は総裁選をやめよう」などと言っても、通らないでしょう。

逆に野党が言っても「政権とる可能性がないのに」で終わりかねません。この点、日本維新の会は規約第七条四項で「代表は、前項前段の公職選挙の投票日から四十五日以内に、代表選挙を実施するかどうかを議決するための臨時の党大会を開催するものとする」と定めています。前項前段の公職選挙とは、衆議院選挙・参議院選挙・統一地方選挙です。仮に政権党になった場合は、総理大臣を代表選挙で引きずりおろすことは制度上ありえません。他の党も倣ったほうがよい制度だと思いますし、日本維新の会が総理大臣を出す政権与党になった時にも変えないでいてほしい制度です。

どうしてこんなことを言うか。

昭和54(1979)年の大平正芳内閣における40日抗争は、世にも醜い政争と化しました。大平の2代前の三木武夫は249議席しかとれずに退陣。大平(と福田)は三木が衆議院を解散しようとしたのに反対、任期満了選挙の果ての自民党敗北でした。その次の福田赳夫も解散しようとしたけど、党を預かる幹事長の大平が反対。福田は断念(というより、そんなことしなくても総理大臣が総裁選で負けるはずがないと油断)し、初の党員参加の総裁選で大平に敗れました。

その大平は首相になると、福田や三木が反対するにもかかわらず、解散を断行。248議席の敗北でした。

この状況にもかかわらず、大平は居座り。最後は、首班指名選挙に自民党から大平と福田の二人が立候補、大平の野党も巻き込んだ工作により僅差で勝利して、続投しました。

「五五年体制」で自民党総裁選が国政総選挙より重視されるように

あげく、総理大臣と自民党総裁を分離する「総理・総裁分離案」なども出てくる始末です。この「総総分離論」は、この時代の政争が激しい時に妥協案として常に飛び出していました。総選挙により国民に選ばれた第一党の総裁が国の最高責任者である総理大臣になる。これを「憲政の常道」と言います。「総総分離論」は「憲政の常道」の否定ですから、議会の自殺行為です。

日本記者クラブ主催の討論会に臨む自民党総裁選の候補者=2024年9月14日、東京都千代田区
写真=時事通信フォト
日本記者クラブ主催の討論会に臨む自民党総裁選の候補者=2024年9月14日、東京都千代田区

「憲政の常道」の源流は、イギリス憲政です。「総選挙により選ばれた政党の総裁は、次の総選挙まで総理大臣として思う存分、自分のやりたいことをやってよい」との考え方です。政治家の権力欲を否定などしない。いかに公正なルールのもとで発揮させるかを考えるのが、イギリス人の発想です。

戦前日本は立憲政友会と立憲民政党が二大政党で、自民党のような政党が二つあって政権交代していました。ところが、「五五年体制」では総選挙は常に自民党が勝つので、実質的に総理大臣を決める選挙が自民党総裁選になり、国民全体が参加する総選挙より重視する倒錯が起きているのです。