「意志の強さ」は当てにならない

「ややこしい」本は、固く決意しても途中で挫折することが多いので、なかなか結果が出ません。結果が出にくいものには、ずっと注意を集中できません。気分は変わりやすく、いったん嫌になったら、もう一度興味を取り戻すのは難しい。とすれば、「ややこしい本」を読み通そうとするなら、自分の気分のアップダウンとは無関係なところで、読書が進行する客観的なメカニズムをこしらえる必要があります。

たとえば『資本論』を読んだときは、友人たちと「読書会」をしました。それぞれが分担を決めて章や節を読んで、それを要約して、何を言っているのか、自分なりの解釈を皆の前で発表して検討してもらう。

読書会をする人々
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これだと、自分の担当のところは必ず読まなければなりません。また「今週はここまで進もう」と皆で約束しているので、自分の分担でなくても事前に読んでおかなければ、という気持ちになります。たとえ何らかの事情で読めなくても、他の担当者から要約が配られるので、後から追っかけて読むときもずっと楽です。

よく子どもに読書習慣をつけるには、ご褒美と組み合わせるのが良いとされます。最近聞いたのは「1頁読むと1円お小遣いをあげる」という方法でした。これだと、子どもも小遣いほしさに読むようになるとか。

実は、大人でも「ややこしい本」を読むときは同じで、何かの工夫をこらす必要があります。「締め切りを設ける」「発表をする」「友人と話す」などという動機づけをして、何としてでもある箇所までは読み進む。自分の意志の強さなど当てにしないことが大切なのです。

自分の意志の強さを過信しない→読み進めるための工夫

今でも「読者会」方式を採用している

私は、今でも「古典」を読むときは、この「読書会」方式を採用します。たとえば、現在、ドイツの哲学者G・W・F・ヘーゲルの『精神現象学』というチョー「ややこしい本」を読み直しています。

大学のときに数カ月かけて脂汗を流しながら読んだのですが、難しすぎて内容を覚えていません。とはいえ、現代思想の本を読むと至る所にヘーゲルへの言及が出てくる。「いつか読み直さなきゃ」と思っていたのですが、なかなかその気にならない。

そこで参加したのが、ヘーゲル専門家の主宰している読書会です。1回ごとに進む分量が決められているから、とりあえず、そこまでは何が何でも読んでいかなきゃならない。ヘーゲルは意味が取りにくいので有名ですが、分かっても分からなくても、とにかく決められたところまで読んでいく。

混乱したら後で質問すれば解説してくれる。でも、専門家だって分からない箇所がいくつも出てくるので、自分が疑問に思ったことは、皆も分からない、と安心するとともに、帰りの電車の中で、納得できないところを含め今日読んだところを読み返す。