※本稿は、林菜央『日本人が知らない世界遺産』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
産業遺産はライフスタイルの反映
条約やその指針に明確に定義はされていませんが、共通の特徴を持ったグループとして認識されている、一般的にはあまり知られていない世界遺産のカテゴリーについて、ご紹介したいと思います。
その一つである産業遺産は、文化遺産のひとつの区分とみなされており、産業革命以降、人間のライフスタイルに劇的な変化をもたらした技術的革新や産業にちなむ場所や施設がこれにあたります。日本では、「富岡製糸場と絹産業遺産群」や「石見銀山遺跡とその文化的景観」などが産業遺産にあたります。
鉱山、輸送機関などが代表例で、また産業によって変化した社会生活を体現する住宅群、産業博物館なども含まれます。このカテゴリーの遺産を産業考古学という分野で研究し、その保存修復について専門に扱う機関として、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)に認定された「産業遺産の保存のための国際委員会」(TICCIH:The International Committee for the Conservation of the Industrial Heritage)があります。
東京の上野にある国立西洋美術館本館を含む「ル・コルビュジエの建築作品――近代建築運動への顕著な貢献」(フランス、アルゼンチン、ドイツ、日本、ベルギー、インド、スイス)は、異なる大陸の7カ国に17の構成資産を有するという希少な世界遺産案件です。フランスの著名な近代建築家ル・コルビュジエが世界各地で新たな社会の要請にこたえるため設計した20世紀建築の代表的な作品が集められています。
インドの山岳鉄道群はアジア初の産業遺産
私が保存状況の査察のため訪れた産業遺産の中に、「インドの山岳鉄道群(Mountain railways of India)」があります。
インドの異なった州の山岳部を走る3つの鉄道を統合した遺産です。もともと1999年に、「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」として単一資産が登録され、2005年に「ニルギリ山岳鉄道」が登録対象に加えられた際に現在の名称に変更されました。
2008年にはさらに「カルカ・シムラ鉄道」が構成資産として追加承認されました。アジア初の産業遺産として登録されたこの「インドの山岳鉄道群」は、1番目の構成資産であるダージリン・ヒマラヤ鉄道が現在でもなお、山岳での鉄道運営を技術的に克服した最も顕著な例とされています。1881年に設立され、技術革新のみならず、当初は移動が困難だったヒマラヤ地方の平野部と山岳地帯の住民の交流、物資の流通などに大きな役割を果たしました。
ニルギリ山岳鉄道は、1854年から1908年まで50年以上かけて完成し、標高326メートルから2203メートルまで走る鉄道です。
カルカ・シムラ鉄道は、19世紀半ばに、山の上にあるシムラの街に人手や食料を調達するための手段として拓かれました。