新たな自分の才能を発見することもある
野村はタイが好きだからタイに来たのではない。ベンジャロン焼に恋をしてしまったから、バンコクにいるわけでもない。父親と母親の夢を続けるためにタイに来た。繰り返すが、人生は思い通りにはいかない。しかし、思いもよらない現場で新たな自分の才能を発見することもありうる。
事実、野村はベンジャロン焼の商品開発をしながら、自分の才能に気づいた。父親と母親がやらなかった新しいベンジャロン焼の商品を開発し始めている。
野村がベンジャロン焼の販売で力を入れようとしている点は3つある。
ひとつはDX。ホームページを作り、客からの問い合わせに答えられるようにした。FacebookやInstagramも始めた。高齢の母親と熟年のタイ人従業員ができなかったDXの整備により、店に立ち寄る観光客の数は2倍になった。
ふたつめはBtoBの営業だ。タイに進出している企業の周年行事、イベント、ゴルフコンペの記念品としてベンジャロン焼の飾り皿、コーヒーカップなどを受注している。タイ・イセキュウには絵付け専門の従業員がいるので、企業の担当者と打ち合わせをして、オリジナルデザインのベンジャロン焼を提案できる。野村が野村證券にいた時代に会得した「客を知ること、客の立場になること」から始めた法人営業だ。彼がタイに来てから売り上げが上がったのは法人営業で結果を出したからである。
数千円のカップを売る仕事も同じくらい大変
3番目は新商品の開発。日本の九谷焼の窯元「鏑木商舗」が応援してくれたため、リーデルのワイングラスのステム(持ち手)部分にベンジャロン焼が採用された。ガラスのボウルと絢爛なベンジャロン焼のステムとの対比が楽しめる商品だ。これもまた野村が社長になったからこそできた商品開発だった。
野村は嘆息する。
「野村時代は10兆円の仕事のプレッシャーで大変でしたけれど、1客数千円のコーヒーカップを売る仕事も大変です。売り上げは上がっていますが、儲けるまでには至っていません。しかし、生涯でふたつの仕事ができて、しかも、ふたつの国で暮らすことができて、おおむね幸せだと思っています」
コーヒーカップを売る仕事にも野村證券時代の経験が生きているのだから、彼のセカンドキャリアは充実している。