定年退職後の「充実した第2の人生」とはどのようなものか。野村證券執行役員、LINE証券会長を務めた野村学さんは、今年3月に退職してからバンコクに移住し、タイの伝統工芸品「ベンジャロン焼」の店を親から受け継いだ。現地で取材したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

タイで絢爛な磁器を売る元野村證券マン

タイ・バンコクの中心部、BTS(都市高架鉄道)のナナ駅とアソーク駅の中間に磁器製品を売るタイ・イセキュウの店舗がある。表の看板には「ベンジャロン」と日本語で書いてあるように、主な客は日本人観光客と同じく駐在員だ。タイ・イセキュウが製造販売しているベンジャロン焼とは金色の色彩が目立つ絢爛なデザインの磁器で、かつては王室専用の焼き物だった。

色彩豊かで絢爛なベンジャロン焼
筆者撮影
色彩豊かで絢爛なベンジャロン焼。草花の絵柄を幾何学模様のように細かく絵付けするのが特徴だ

「約600年前、中国からアユタヤ王朝に輿入れしたプリンセスが、皇帝だけが使う華やかな磁器を持ち込みました。その美しさに魅せられたアユタヤ国王は、陶工を中国に派遣し、当初はそこで製造されたものを輸入して使っていました。やがてタイで独自に発展し、中国では三彩であったものが、タイでは五彩のベンジャロンとなったのです」(同社ホームページ)

同店舗の階上にある事務所には社長の野村学がいた。2023年の秋まではLINE証券の会長だった。野村證券で執行役員まで務めたが、両親がタイに持っている会社を継いで、経営するために単身、やってきた。妻は東京の三軒茶屋にある留守宅を守っている。娘ふたりはすでに成人した。だから、彼はひとりで赴任している。

移住3カ月でさっそく売り上げを2倍に

野村は言った。

「タイ・イセキュウは年商3億円で従業員は10人です。私の父が窯業関係の技師で、タイに来た時、ベンジャロン焼にほれ込んで作った会社なんです。1979年に勤めていた会社を辞めて、父と母はそのままバンコクに残りました。ふたりは日本に帰らず、タイで仕事をしていました。父は20年前に亡くなりましたが、母は元気で今も店に出ています。

この会社を作る時、父は独力では無理なので名古屋にある名門商社の伊勢久さんに出資してもらいました。扱っているのはセラミック原料です。顔料、釉薬ゆうやくといったものを日本から輸入してタイ国内と周辺のアジア諸国に販売する。これが売り上げの9割くらいで、ベンジャロン焼は1日で1万円から2万円くらい売れればいいといった商品です。

しかし、私自身は父が大好きだったベンジャロン焼をもっと知られるものにして、売り上げも10倍くらいに伸ばしたい。実際、タイに住み始めて3カ月ですが、現状でも昨年対比で2倍になりました。個人の観光客、駐在員に売るだけでなく、タイに進出している日本企業にまとめて買っていただくよう営業しています。野村證券にいた頃はずっと営業でしたからBtoBの営業は慣れています」