菓子大手シャトレーゼ創業者の齊藤寛会長が亡くなった。20歳で焼き菓子を始め、70年間を会社の発展に捧げた人生だった。なぜシャトレーゼは1000店舗を抱える一大企業に成長したのか、2022年9月にインタビューしたノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。
シャトレーゼ創業者の齊藤寛会長
撮影=プレジデントオンライン編集部
シャトレーゼ創業者の齊藤寛会長

日に焼けていて、生命力にあふれていた

シャトレーゼの齊藤寛さんが亡くなった。90歳だった。亡くなるまで現役の会長として経営にあたっていた。

戦後の貧しい時代、彼は20歳で4坪の店、今川焼の「甘太郎」を始めた。それが今では海外店舗を含めて1000店舗を超えるグローバル・チェーンに成長している。

齊藤さんはつねに現場に足を運んだ。客と取引先と社員に喜んでもらうために仕事をする人だった。

2年前にインタビューした時の最初の印象は「胸板が厚い人だな」というものだ。その時、88歳だったけれど、日に焼けていて精悍そのもの。生命力にあふれていた。しかも、わたしの目の前でゴルフのスイングをしながら、「野地さん、80代を過ぎてからスイングを改造して飛ぶようになりました」と笑ったのである。素振りの手を見たら、現場の人と感じる大きくてごつごつした手だった。

4坪から始まった店を70年間かけて一大企業に育て上げた経営者の手
撮影=プレジデントオンライン編集部
4坪から始まった店を70年間かけて一大企業に育て上げた経営者の手

インタビューした後、わたしは工場見学をした。節電していたから、本社工場の廊下は薄暗かったが、どこもかしこも清潔な状態にしてあった。工場へ入る際には自分の靴から室内履き、工場用の靴に履き替えなくてはならない。

下駄箱を見ると、「会長」と書いてある場所があった。齊藤さんが履き替えた靴を置く場所だ。創業者だから高級ブランドの革靴かなと推測して、なかをのぞいてみたら、履き古したような普通のウォーキングシューズが置いてあった。一足の靴を大切に履く人だったのである。

「強いものに負けたくない」

齊藤さんは90分間、話し続けた。人生のほぼすべてをゆっくりとした口調で語った。わたしが感銘を受けたのはふたつのエピソードだ。そのふたつが齊藤寛という人間をあらわしていると思った。

ひとつめは「強いものに負けたくない」という正義感だ。

シャトレーゼはSPAだ。つまり、自社で商品の企画から製造・販売までを一貫して行っている。ケーキやアイスクリームを企画、製造して、自社の小売店で売る。一般に菓子メーカーとは製造だけをやる。卸売りに託す、あるいは小売店に持っていく会社がほとんどだ。小売店の場合は店内で作ることのできる数量だけを売る。もしくは卸売りから仕入れて販売する。SPAは決して多くはない。

最初のうち、シャトレーゼもスイーツの製造会社だった。だが、納入していた百貨店からさまざまな要求が来るようになった。

齊藤さんはそれを嫌った。強い立場の者が一方的に要求してくることを許せないと思った。彼はこう語った。