日に焼けていて、生命力にあふれていた
シャトレーゼの齊藤寛さんが亡くなった。90歳だった。亡くなるまで現役の会長として経営にあたっていた。
戦後の貧しい時代、彼は20歳で4坪の店、今川焼の「甘太郎」を始めた。それが今では海外店舗を含めて1000店舗を超えるグローバル・チェーンに成長している。
齊藤さんはつねに現場に足を運んだ。客と取引先と社員に喜んでもらうために仕事をする人だった。
2年前にインタビューした時の最初の印象は「胸板が厚い人だな」というものだ。その時、88歳だったけれど、日に焼けていて精悍そのもの。生命力にあふれていた。しかも、わたしの目の前でゴルフのスイングをしながら、「野地さん、80代を過ぎてからスイングを改造して飛ぶようになりました」と笑ったのである。素振りの手を見たら、現場の人と感じる大きくてごつごつした手だった。
インタビューした後、わたしは工場見学をした。節電していたから、本社工場の廊下は薄暗かったが、どこもかしこも清潔な状態にしてあった。工場へ入る際には自分の靴から室内履き、工場用の靴に履き替えなくてはならない。
下駄箱を見ると、「会長」と書いてある場所があった。齊藤さんが履き替えた靴を置く場所だ。創業者だから高級ブランドの革靴かなと推測して、なかをのぞいてみたら、履き古したような普通のウォーキングシューズが置いてあった。一足の靴を大切に履く人だったのである。
「強いものに負けたくない」
齊藤さんは90分間、話し続けた。人生のほぼすべてをゆっくりとした口調で語った。わたしが感銘を受けたのはふたつのエピソードだ。そのふたつが齊藤寛という人間をあらわしていると思った。
ひとつめは「強いものに負けたくない」という正義感だ。
シャトレーゼはSPAだ。つまり、自社で商品の企画から製造・販売までを一貫して行っている。ケーキやアイスクリームを企画、製造して、自社の小売店で売る。一般に菓子メーカーとは製造だけをやる。卸売りに託す、あるいは小売店に持っていく会社がほとんどだ。小売店の場合は店内で作ることのできる数量だけを売る。もしくは卸売りから仕入れて販売する。SPAは決して多くはない。
最初のうち、シャトレーゼもスイーツの製造会社だった。だが、納入していた百貨店からさまざまな要求が来るようになった。
齊藤さんはそれを嫌った。強い立場の者が一方的に要求してくることを許せないと思った。彼はこう語った。