値引きを断ったら、取引を切られてしまった

「当時、シャトレーゼはまだ売り場を持っていませんでした。洋菓子の製造メーカーだった。売り場を持たないメーカーというのは立場が弱いんです。百貨店から『取引を続けたかったら、協力してもらわなきゃ困る』と言われ、販売協力費という名目の寄付を頼まれたり、500万円もする腕時計を買わされたりしました。とても理不尽なことだと思いました。

ただ、理不尽さよりもつらかったのは、値引きです。一生懸命作った商品を安く納入しろと言われるのです。しかし、うちはすでにコストを切り詰めてやっている。これ以上、安くすることは質を落とすことになる。それで値引きを断ったら、取引を切られてしまいました」

シャトレーゼ創業者の齊藤寛会長
撮影=プレジデントオンライン編集部

齊藤さんはそう言ってから「はは」と笑った。

「500万円もする腕時計を買えと言われて、それで取引したら、自分も社員も惨めになりますから」とも言っていた。

取引を切られた齊藤さんは直売所を作った。「工場直売店」と銘打ってプレハブの実験店舗を作った。商品の値段は卸価格と一緒にした。一個100円だったら、34%引きの66円で一般消費者に売った。そこまで安くしたら売れないはずはない。商品はたちまち売れた。工場直売店は大成功した。

シャトレーゼの代名詞ともいえるシュークリーム
撮影=プレジデントオンライン編集部
シャトレーゼの代名詞ともいえるシュークリーム。1個10円という破格の販売戦略が会社を一気に成長させた

シャトレーゼを大きくした「どらやき社長」

シャトレーゼが製造だけの菓子メーカーからSPAに転換したのは不当な商習慣に対する怒りだった。彼は売り上げを伸ばし、利益を追求するためにSPAを指向したのではなく、正義感から直売を始めたのである。

質がよくて値段が安い商品を買うことができて客は喜んだ。社員もまた理不尽な要求をする会社と付き合う必要がなくなり、ほっとした。シャトレーゼに納入する取引先もまた商品が売れたことで喜んだ。SPAへの転換で、彼は客、社員、取引先を喜ばせる「三喜経営」を実現した。

もうひとつのエピソードは家業的な経営についてである。

シャトレーゼは「プレジデント制」をうたい、組織を小集団に分けて、トップに社長(プレジデント)を置いている。シュークリームの製造ライン統括ならばシュークリーム社長、どら焼きラインなら、どら焼き社長、店舗を統括する営業責任者であれば地区を統括する地域社長だ。

そうしたプレジデント制を始めたきっかけはゴルフ場を経営したことだったという。

齊藤さんに会った時、わたしは「どうして、ゴルフ場をたくさん持っているのですか?」と聞いた。すると、彼は「それ、とてもいい質問ですね」と言って微笑した。