66歳で単身、北海道のゴルフ場再建に挑戦

そしてこんな説明をした。

「私が66歳の時でした。ちょうど2000年です。一度、シャトレーゼの経営を後継者に譲ることにしたのです。それまでワンマン経営でやっていましたから、そばにいると、口を出すことはわかっていました。それで、ひとりで北海道へ行くことにしたのです。

岩見沢に近い栗山町という人口1万人超の町にゴルフ場があったのですけれど、これがつぶれそうになっていたので、再建を頼まれました。僕はお菓子だけでなくゴルフ場もできるぞというところを見せてやりたくて、再建に挑戦しました。

そのゴルフ場は町から離れた丘の上でね、設備は豪華だったけれど、周囲にいくつものゴルフ場があったから、とにかく人が来なかったんだ」

シャトレーゼ創業者の齊藤寛会長
撮影=プレジデントオンライン編集部

人を呼ぶために彼はゴルフ場のなかにシャトレーゼの直売店を作った。

「まず、ロビーや玄関の造作を取り外してシャトレーゼの店を作りました。それだけで多くの人がやってきました。それだけでなくゴルフ場のレストランを夜まで開けることにしました。通常、ゴルフ場のレストランは昼だけです。しかし、おいしいディナーを出すことでゴルフをやらない人も顧客にしました。ちなみに、今は19(現在は20)のゴルフ場をやっています。いずれも再生させました」

山梨へ戻ったら、次は本業がピンチに…

「シャトレーゼのゴルフ場ではどこでもデザートとサラダは無料です。途中の売店には無料のアイスクリームも置いてあります。ゴルフ場の再生といえばゴルフをやる人だけをお客さまとして考えて、会員をなるべく多く集めようとしていますけれど、私はゴルフをしない人にも来てもらおうと思い、飲食の売り上げを増やしていったのです」

シュークリーム社長やどらやき社長など、社内には約120人の「社長」がいる
撮影=プレジデントオンライン編集部
シュークリーム社長やどらやき社長など、社内には約120人の「社長」がいる

こうして、齊藤は北海道栗山町の「シャトレーゼカントリークラブ栗山」を再建した。しかし、話はそれで終わりではなかった。

「ゴルフ場を再生させて、山梨へ戻った時、私は愕然としました。北海道へ行く前は500億円近い売り上げがあったのですが、それがわずか1年で400億円へと減っていたのです。後継者は仕事もよくできて、優秀な人間でした。だが、売り上げを減らしてしまったわけだから、次の人間に代わってもらうしかない。そうして代わった人間も優秀でしたけれど、でも、売り上げを伸ばすことはできなかった」

齊藤さんは後任の社長を問い詰めたという。

「いったい何をやったのか? どうして売り上げが落ちたのか?」

しかし、後継者は「会長(齊藤)がやったことを真似しました」と言うだけだった。

齊藤さんは気がついた。

「悪いのは自分だ」と思った。