人種差別があったことを示す名残となっている

8マイル・ウォールは、デトロイトのこの地域で暮らす白人にとって想像上の安全度を高める効果があり、不動産業者は、この壁があるおかげであちら側に住む黒人からいかに“保護”され、物件価値の低下が避けられるかを吹聴した。

もっと広い見地で言えば、この壁は都市と郊外との新たな差異を補強し、ことに米国という背景においては、希薄とはとうてい言いがたい人種的な意味合いを帯びるようになった。とりわけ1967年にデトロイトを震撼させた大規模な黒人暴動の余波で白人住民の流出が本格化するまで、人種間の対立の象徴であり続けた。

複数の木製人形の間に手を入れた分断のイメージ
写真=iStock.com/Vachiravit Vasuponsritara
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現在、白人と黒人をこのように区別する法規は存在しない。1968年の公正住宅法では、住宅の販売、賃貸、融資における人種、宗教、国籍、性別といった特性に基づく差別を禁止し、レッドライニングを違法とした。建前上、いまでは黒人も自分の好きな場所で暮らすことができる。

8マイル・ウォールが公式の障壁だった時代は過去のものになったが、壁はいまも存在し、南部以外でも米国に人種隔離や人種差別があったことを示す名残となっている。

「共同体のシンボル」として利用されている

芸術家たちは、アルフォンソ・ウェルズ・メモリアル・プレイグラウンドにある吹きさらしの壁を、この地域の住民(シャボン玉を吹く子供たちや公正な住宅販売を求める人々など)や、アフリカ系アメリカ人の歴史における重要人物(公民権活動家のローザ・パークスなど)の壁画で飾ってきた。

ある事業型NPOは、非正規や失業中の地元住民がこの壁画を紹介するガラス製のコースターを制作して販売するのを支援している。

この壁を登ることは、地元の若者にとって一種の通過儀礼になってきた。

学校は、この壁を教材とする遠足を実施しており、2021年3月には、その重要性によってアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。今日、この壁は不調和のシンボルではなく、共同体のシンボルとして利用されている。

これが実質的に分割しているのは、各家庭の裏庭だけである。