「8マイルを越えるな」子供の頃の教え

多くの人にとって、道路は自分を“内部の人(インサイダー)”と感じられる場所と、“部外者(アウトサイダー)”と感じられる場所を区別するものになっている。“場違い(アウト・オブ・プレイス)”であると見なされることへの恐怖は、凶悪犯罪と人種差別がいまだに日常的である国では些細な問題ではない。

デトロイト市民のひとりは次のように言っている。「子供の頃、“8マイルを越えるな”とか“8マイルを車で走るときは注意しろ”とさんざん言われた。そういう“仕切り”は常に存在している……このあたりの住人のほとんどは、8マイルを境界線と考えている」。

別の住民は、郊外居住者は8マイルを「地獄への入り口か何かのように考えている」と皮肉って、こう続けた。「白人はスポーツイベントに行くために決死の覚悟であれを越えて、用がすむと一目散に帰っていく。デトロイトと郊外を隔てる道路にすぎないのに」。

8マイルの両側の生活を体験したエミネム

この境界を軽々と越えられる数少ない有名人がエミネムだ。たとえば、2002年に公開された『8マイル』という自伝的な映画のなかで、彼が演じるBラビットという白人青年は、クラック(訳注:コカインの粉末に脱臭剤と水を加えて熱してできた白い固形物の麻薬)の密売所、ストリップクラブ、酒屋、質屋、売春婦、トレーラーパーク(訳注:トレーラーハウスの駐車場)、みすぼらしいモーテルなどと縁が深い、この耐えがたい場所から逃げ出そうとする。

映画『8マイル』
映画『8マイル』

ラップと自分の荒れた子供時代(彼は8マイルの両側の生活を体験していた)によって、エミネムはこの道路と周辺地域の代弁者マウスピースになり、住民の不安と苦悩を明確に表現した。

彼は、都市生活と都市問題を強烈に描いた作品によって、ラップを見下してきた郊外の白人地域にもこのジャンルを普及させ、白人と黒人の根深い分断という米国社会の硬直性に異議を唱える特異な存在だ。

8マイルは、ほかの場所が排除したがる“悪徳(ヴァイス)”を受け入れる、この世の果てのように思えるかもしれない。しかし、“希望(ヴォイス)”がないわけではないのだ。