人種差別から利益を得ようとした住宅開発業者

異なる人種間の仕切りになっているどのフリーウェイも――さらに言えば、“貧しい人の住む側(ザ・ロング・サイド・オブ・ザ・トラックス)”という表現に深い意味を与えているどの線路も――米国社会におけるありふれた境界であると見なすことができる。

しかし、8マイル・ウォールの住宅開発業者(ディベロッパー)は、人種差別から利益を得ようとしていたという点で、とりわけ強欲だった。

1935年、住宅所有者資金貸付会社(HOLC)は、全米250弱の都市における不動産投資の安全性を示す“居住セキュリティマップ”を作成し、黒人の人口が少ない地域は安全な地域とし、多い地域は危険地域として赤い色で表した。

そして、既存の黒人コミュニティと新しい住宅地を隔てるために、デトロイトのエイト・マイル・ワイオミング地区に、高さ1.8メートル、幅0.3メートル、南北に3ブロックの長さのある壁が建てられ、ディベロッパーは融資と抵当保証を正式に認められた。

さらに、都心部の昔から白人が住んでいた地域に黒人が引っ越してくる恐怖を、全米の不動産業者があおり立て、白人家庭は、ニュー・ディール政策の寛大な補助金を活用して、郊外に新築の一戸建て(ガレージを備え、2、3人の子供のためのスペースがあり、白い柵に囲まれているという当時の典型的なマイホーム)を購入するよう政府に奨励された。

住宅街の航空写真
写真=iStock.com/halbergman
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“白人の郊外への移動”で儲けた不動産業者

“白人の郊外への移動(ホワイト・フライト)”が始まると、多くの不動産業者が、都市部にある白人の古い家屋を法外な価格で黒人の買い手に売り、莫大な利益を挙げた。これは、貧困で人口過密の土地を離れたいという黒人の切実な願いと、彼らが利用できる住宅ストックが不足しているという事情を反映していた。

多くの投機家は都心の物件を黒人に賃貸して、高い家賃を請求したが、住民が自宅や近所を維持するのは困難になった。投資もサービスも欠乏して、地域は荒廃するしかなかった。

そうした荒廃ぶりを見た白人は、住民にその責めを負わせ、差別意識をますます強固にした。黒人は“ゲットー”に住めという考え方が、ふたたび主流を占めるようになった。

その一方で、“モーターシティ”(訳注:デトロイトの愛称)にふさわしい郊外は、(裕福な白人の)住民の車の所有を前提に建設され、20世紀の生活の絶対的な価値基準になった。